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外国語の勉強が楽しい話

昨日は、4月に受けたTOPIKの発表だった。2級に合格。バンザーイ。
試験を受けると他人に自分のレベルを伝えやすくなり、非常に便利だ。

語学をやってると、自分のレベルを伝えなくてはいけない機会が多々ある。一般的には「TOPIK? 何じゃそら」だが、韓国語界隈の人にだけ分かればいいのだ。日本語ペラペラの人も、あいうえおを練習中の人も、同じ「日本語を勉強中の人」になる。「TOPIK2級です」だけで済むのは便利すぎる。
韓国語と無縁に生きる私の知人各位は「あの人、韓国語マジ勉してるらしい」程度で構わない。
でも一個だけ自慢すると、筆記が100点だったよ! リスニングも惜しかった。嬉しい。

外国語の勉強は、やってみると想像を絶する面白さだった。メリットしかない。その面白さのひとつに「外国語をやってるとなぜか日本語を知ることになっていく」というのがある。

英語でも This や That は最初に習う基本だが、日本語の「あれこれ」「あちこち」は、韓国語では「これあれ」「こちあち」と逆に言う。不思議。
私たちは普段「あれ」や「それ」を何となく感覚で使い分けている。ちょっと考えてみてほしい。「あの花」と「その花」の違いは何だろう。「あの」は遠くにある花、「その」はちょっと近くの花?
実はモノの距離じゃなく、話し手と聞き手の位置関係だそうだ。話し手と聞き手が同じ場所にいたら、花は「あれ」。聞き手が花の近くに移動したら、花は途端に「それ」になる。
という説明がリスニングの本に書いてあり、確かに~!と思った。
「俺はあきらめの悪い男だ」という日本の漫画の台詞が、韓国では「俺はあきらめを知らない男だ」と訳されているそうだ。行いが悪い、健康に悪い、とは違い、あきらめに対して「良い・悪い」は確かに異質だ。こういう話が外国語をやってるといくらでも出てくる。

言葉は、ネイティブが気づかないまま一生を終えるであろう不思議さ、理不尽さに実は溢れている。言葉は人の性格も形成している気がする。日本語は述語が最後に来るので結論が後延ばしになる言語だが、英語みたいにまず結論を先に言わなくてはいけない言語だったら、日本人の性格もちょっと違っていたかもしれない。
外国語は世界が外に広がるだけじゃなく、足元の小さな発見にも溢れている。まじで楽しいです。


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