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「名古屋最強ミニシアターを探せ!ナゴヤキネマ・ノイ vs シネマスコーレ」

「名古屋最強ミニシアターを探せ!ナゴヤキネマ・ノイ vs シネマスコーレ」なるイベントを1月23日、今池のライブハウスTOKUZOで開催した。
公私ともにお世話になってる2つのミニシアターについてのイベントで、私は企画と、当日の司会進行で参加させていただいた。

名古屋シネマテーク閉館後、ナゴヤキネマ・ノイの立ち上げを決めた永吉さんと仁藤さん。そしてシネマスコーレの坪井さんと大浦さん。彼らが一緒に何かやるのは、なんと初めてだそう。チケットは立ち見まで完売、約120人のお客さんでフロアは満員だった。ありがとうございました。

最初にこの企画が立ち上がったのは11月末。キネマ・ノイ開館に向けたクラウドファンディングが始まる前のタイミングであり、何かしら応援になればというTOKUZO森田さんの頼もしき提案だった。私でよければもちろんと答えたものの「じゃあ司会よろしく。中身はなんか考えて」と無茶振りされ、さて困った!と温泉太郎さんを巻き込み、あれこれ考えた企画だった。結局クラファンも早々に目標到達し、逆にお礼が言える場になって良かったと思う。温泉さんとのやり取りも楽しくて、とてもいい時間になった。

80年代のほぼ同時期にスタートし、ともに約40年を過ごしてきた名古屋シネマテークとシネマスコーレ。イベントでは過去に上映した映画や来館ゲストなどの思い出から、今後の展望まで。フィルム時代の面白おかしい苦労話、動員の厳しさや若者の劇場離れなど切実な悩みも含め、同じ名古屋の地で小さな映画館を運営していく両館には、やはり共通する思いも多かったよう。
とても上手にお話してくださり、来てくれた方々にも、劇場をやっていく側の方々にも、明るい希望のようなものを共有できた感があり、充実したイベントになった気がする。終わってみんな笑顔だった。

自館上映作の中で「忘れられない映画」をあらかじめそれぞれ1本選んでもらい、イベントの中で発表した。大ヒット作、大トラブル作、個人的な思い入れ、どんな理由でもOK。私もステージ上で初めてそれぞれの理由を知った。
あの場にいた方は「自分なら何だろう」と考えたんじゃないだろうか。
私なら、シネマテークで観た『母なる証明』を挙げたい。かなり最近の話だが、コロナでしばらく休館となっていたテークが復館直後に組んだのがポン・ジュノ特集で、久しぶりに観返した。
映画の冒頭、老いた女(名優キム・ヘジャですが)が荒野で踊る。その変てこりんな踊りをスクリーンで見ながら「また来れて、映画館があって、本当によかった…」と涙が出てしまった。ずっと泣きながら観た。
スコーレなら『SRサイタマノラッパー』。映画を観た後、帰ってからスコーレにメールを書いた。「とても面白かった、上映してくれてありがとうございます」というお礼のメールだった。映画館にそんなことをしたのは初めてで、当時、私はただの客。スタッフの名前など一人も知らなかった。思いがけず返信があり、「この嬉しいメールを監督に転送していいですか?」とあった。ビックリして「待ってください!清書していいですか?」と返したのを覚えている。その返信をくれた人が坪井さんだった。

忘れられない映画には、体験が密接に結びついている。イベントの中で挙がった映画も、内容や面白さではなく、映写時の思い出や映画が引き起こした出来事が語られていた。
映画館の映画は体験だ。一緒に観た誰か、帰り道に見た風景、直後に食べたご飯など、本来映画とは関係のない時間が混ざり合って記憶されている。
それらを含めて映画だと思っているし、映画館が存在し続けてくれないと、私は映画が観られないんだよなあと思っている。
ノイさんもスコーレさんも、これからもどうぞよろしくお願いします。

楽しかった!どうもありがとうございました


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