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日々のこと 1228 佐内正史

「とりあえず一区切り」という瞬間に、何かが崩れるらしい。
去年の暮れもそうだった。高熱を出し、お布団の中で年を越した。元日早々、休日診療所に這っていくというのをやった。
今年は「さあ、そろそろ仕事納め」というときに突然歩けなくなり、その場にしゃがみこんだまま口もきけず、ダラダラ脂汗を流すのみの状態に陥った。

かなり自由気ままに日々を過ごしていると自分では思っているのだが、こうした区切りのタイミングでガタガタッと身体が急に壊れるのは何だろう。どこかで張っているものが一気に崩れ落ちるんだろうか。知らず知らずに防御を固めているんだろか。不思議。
今日は久しぶりに窓の外を眺めた。空はよく晴れていた。

身体的に動けないと、精神的にも落ちていくのがつらい。普段は目を背けている諸問題やら不安やらが、一気に体力を失った隙間に流れ込んでくる。「私は本当に何も持っていないなぁ、欲しかったものは何一つ手に入れられなかったな」みたいな、完全ネガティブの沼に陥っていく。「まーいろいろアレだけど、どうにかなるっしょ」と笑える力が極端に下がり、自分の底がむき出しになってしまう。恐ろしい。つくづく健康は大切。

雑誌「SWITCH」の特集は「写真家・佐内正史」だった。
寝込む少し前に本屋で見かけ、購入した。何年ぶりかで買ったSWITCHを、お布団の中でパラパラめくる。

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写真と本人の文章で構成された、全体ページの半分くらいの特集。
その中に忌野清志郎を撮った時の文章があった。
「忌野さんは感覚がおしゃれ。演技ではないけどちょっとだけガードする。裸にならない。薄いパンツでガードする。ちょっとだけガードしないと、人間になれないんだなって教わった。撮ってる時にはそんなことしなくてもいいのにって思ってたけど、何年か経って見てみたら、それが自立すること、独立することなんだなってわかった」というようなことが書いてあった。

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私が節目に崩れ落ちるのは、きっと何かを装ってしまっているからだと思う。自分でも意識しておらず、そうなってしまう。でも装うのは悪いことじゃないのかも、と思う。
心許せる相手だと思っていても、リラックスしている時間に見えていても、自分の中では何かワンポイントの装いを多分しているのだ。仕事してても、してなくても、誰といても。
だから、たまに崩れる。だとしたら、これでいいのかもしれない。
佐内さんの言いたいこととは違うかな。けど、ぼんやりした頭でそんなことを考えている。2020年まであと少し。


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