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「ファーザー」映画感想文(主演アンソニーホプキンス)

2021年アカデミー賞主演男優賞に輝いたのは本作で認知症の父を演じた「アンソニーホプキンス」で、数十年たっても「羊たちの沈黙」のサイコパス医師レクター博士役の印象が強い。しかしポスターの、娘と写る父親の表情からはとても同じ人物と思えない柔らかい印象を受ける。それだけで興味を引くには十分だ。

そんな彼が演じる今回のテーマである認知症の高齢者という役柄(役名も同名の『アンソニー』)と、その物語をぜひ映画館で観たいと思った。私は仕事の関係もあって、認知症の方やその家族とお話しさせていただくことが多く、ある程度の経験はあるつもりでいたが、この映画はそんな「分かったつもり」でいた自分には衝撃でもあった。

この映画はアンソニー演じる認知症の状態の老人の「本人目線」と「本人の認識」の状態で物語が進む。認知症患者の疑似体験である。認知症と言えば、物忘れ、物取られ、徘徊、作り話などの他人からも分かる症状が印象としてあるが、本人主体に起こっている、なんとも『あいまい』で『ランダムな記憶が継ぎはぎ状態にある』ということは、こんなにも不安なのかと息をのむ。そして、家族への虚栄と依存、他者に対して取り繕わざるを得ないキャラクター作りがなるほど、やむを得ないのだと気づかされる。

映画の作りを軽く触れると、住み慣れた家それをあなたの家ではないと言われる。目の前に現れる知らない人物。その人は自分のことを知っていて前から知っているように話してくる。というアンソニー主体の状態が繰り返される。時系列も登場人物も知っている記憶と合わないし、自分の中でなにか異変が起きていることも感じている。他の映画の構成や仕掛けとして、時間の流れを逆にすることや、後半に「そういうことだったのか」とネタバレで驚かされることもあるが、この中の物語はまぎれもない「起こりうる事実」であることを度々突きつけられる。記憶喪失のように自分の記憶の前半がすっかりなくなってしまうこととは違って、穴だらけの記憶を目の前の状態と強引につながなくてはならない。だが、その知力も欠落していく老いと病気の共存、というリアルさに苦しさを伴った感情移入が起こっていた。

映画として観ながらも、一種のドキュメントや教育ビデオを観ているようにも感じるが、これはあくまで「映画」であり、エンターテイメントやドラマなのである。本人として、その家族として、ケア・医療者として、どの視点から観ても納得も解決もないドラマがある。この映画は、カップルの一人が病気で死んでしまうまでの恋愛ドラマや、病気が進行していくヒューマンドラマでもないし、すっきりも感動もないが、エンドロールの流れる中、言葉に表しきれない感覚と、それでも何かを受け取りたいと感じさせてくれたのはこの映画のストーリーと心情を絶妙に演じていた役者の力なんだと思う。

直接病気の家族がいなくても、認知症という病気が身近になくても、この映画の評判がよく評価されているということは、人間とは「あらゆる状況を自分にも置き換えられる生き物」なのだろう。そして改めて健康でいることの努力も怠らず励んでいこうと思った。

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