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コミティア148「れきいし街歩き」で書けなかった街歩きのこと!

先日開催されたコミティア148に「れきいし会」として参加してきました。コミティアに出品者として参加するのは一年ぶり。せっかくなので今回のコミティア参加に際して考えたこと諸々をまとめてみようかなと思います。本記事はネタバレも含みますのでぜひ本誌を読んでからお読みください!


実際に歩いてみる

今回は主に漫画に描いたルートを実際に歩いた際のことをまとめようと思います。漫画ではページ数の制限や「れきいし」というテーマから省いたことも多いので「載せられなかったこと」、「歩きながら考えたこと」をまとめてみます。

ルートを考える

本誌の制作に当たって、当たり前ですが実際にルートを考えながらストーリーを作っています。今回は実際に歩いた際に1日(だいたいお昼からにち日没前まで)に回りきることのできるツアールートを制作するとことから着手しました。
今回のルートで大きく参考にしたのは参考文献にも挙げているこちらのサイトです。

Discover 江戸史蹟散歩さんは東京23区内のほとんどの出羽三山信仰に関する史跡を歩かれている方で、私よりも全然詳しいです。ぶっちゃけ23区内で出羽三山信仰の痕跡を追いかける以上このブログは外せない存在となっています。

そのほかには板橋区から発行されている「いたばしの石造文化財 その四 石仏(改訂版)」も参考にしています。こちらは板橋区の郷土資料館にて購入することができます。いわゆる石造物の調査報告書ですね。

こうした資料をもとにルートを制作しとにかく実際に歩いてみました。実際に歩いてみることで資料に出ていないこともいろいろとわかっていきました。

調査で見つけた新たな出会い

今回漫画に書いている内容では、当初ルートに入れていなかった箇所が二ヶ所追加されています。まず一つが善徳寺のお竹大日如来尊影です。

善徳寺 お竹大日如来尊影

この善徳寺は初めルートにいれておらず赤羽駅から本蓮沼駅に向かうバスの中で偶然見かけて何かあるかもしれないと急遽立ち寄ることにしたお寺でした。そこで実際にお寺に入るとなんとびっくり。そこにはお竹さんのご尊影が残されていたのです。事前調査なしでこの場所に出会ったのはあまりにもラッキーだったと思っています。(お竹大日と出羽三山について詳しくは本誌をぜひ読んでください!)
石造物を回っていると時たまこのような奇跡的な出会いが起こります。以前も逗子を古墳めぐりで歩いていた際に偶然通りかかった場所で出羽三山の銘が掘られた宝篋印塔を見つけたことがありました。実際に歩いてみることの醍醐味はこうした突然の出会いだと思います。

逗子で偶然目を向けた先にあった出羽三山の銘が刻まれた宝篋印塔

当初ルートに入れていなかった箇所二つ目は志村一里塚です。こちらも元々はルートに入れていませんでした。元々のルートでは南蔵院で石造出羽三山供養塔を見た後に本蓮沼駅から電車に乗るルートを検討していましたが、善徳寺をルートに入れたこともあって一駅先の志村坂上駅を使うことに当日急遽変更することにしました。その時点では志村坂上駅の目の前に一里塚が残されてることは全く知らず。実際に歩いている中でその存在に気づけました。

志村坂上駅の目の前にある志村一里塚

これは本誌でも少し説明していますが、江戸時代の巡礼にとって街道の存在はとても重要だったと考えられています。それは街道沿いの方が布教がしやすいということもありますし、信仰者が巡礼地に赴きやすいということもあるのでしょう。東京23区の北部に多くの出羽三山塔があるのは中山道初め、御成道、日光街道と多くの街道が集中しているというのが大きい要因です。特に中山道は木曽御嶽山や善光寺への道にもなっていました。出羽三山の巡礼では出羽三山単体を巡礼するというよりもこうした御嶽山や富士山、善光寺、日光といった他所も一緒に回ることが多かったと考えられますので、多くの出羽三山の巡礼者は中山道を使っていたことでしょう。推測にはなりますが、この一里塚も実際に利用していただろうと思われます。そんな場所に偶然出会えたのですからこれも本当に奇跡的な出会いでした。

ルートから外れることで発見がある

今回の奇跡的な出会いはどちらも急遽ルートを変更したことで起きた出来事でした。私はよくやるのですが最初予定してたルートとは違う道を歩くことこそ旅や現地に行くことの醍醐味だと思っています。
生活の中にネットが入り込んだ現代においては、SNSや通販サイトでアルゴリズム検索が発達し、ユーザーにあわせた情報や商品を率先してコンテンツ側が選んでくれる時代になりました。それは非常に便利ですし、私も日々利用していて助かることも多いです。しかし、それは言い換えれば想定外の出会いができにくくなったとも言えます。いつも想定内の情報の波に乗せられるだけでは何かに気付いたり新しい発見をしたりすることはなかなか難しくなります。また、人はインプットによって個性を作っていますから、没個性的な生活を送りがちになってしまいます。これは私が美術大学時代に先生から言われていたことになりますが、普段の通勤路とは違う道を通ってみる、普段降りない駅で降りてみる、本屋さんの普段行かない棚を覗いてみる、こうしたささやかな計画してなかった想定外の積み重ねこそが、個性を育んだり、新しい気づきになるという話をしていただいたことがあります。(細かいニュアンスは違ったかもしれません。)個性とかそこまで考えないにしても、やはり偶然の出会いは自分の人生を少し豊かにしてくれます。偶然の出会いを求めるならネットを離れて、意図的に計画していないことをしてみるしかないのかなと思います。今回、実際に歩いた中で多くの出会いや気づきがあったことはまさに「計画にないことをやってみる」ことの良さを体験できた出来事でした。

街のレイヤーを見る

史跡をめぐって街を歩くときはどうしても目当ての史跡に目を奪われがちですが、史跡の残る街自体の構造に注目するのも実はとても重要なことです。それは街に隠された構造が史跡の成り立ちに大きく関わっていることも大いにありえるからです。
例えば地形です。私が幼少期に暮らしていた東村山市には多くの縄文遺跡がありました。それらのほとんどは南向きの斜面または、川が近い場所に集中していました。南側に傾いた斜面は日当たりも良く水捌けもいいので縄文時代の人々が好んだ地形です。また、生活に水は欠かせないものですから湧水や川の近くはいつでも水が手に入る好条件。縄文人はこぞって湧水や川の近くに集落の痕跡を残しました。こうした地形と遺跡の相関関係はやはり街全体を俯瞰しないとなかなか見落としがちです。
また、街歩きに慣れてくると街が様々な時代のレイヤーの重なりとして見えるようになります。細くうねった街道は古い街道であるとか、建物の並びから街道沿いの宿場町の名残だとか、大通りの裏手に通る細い道が旧道だとか。そいうことが見えてくると都市の複雑さもおもしろく見えます。日本の都市はよく西洋の都市と比較されてその複雑さが特徴的だと語られることが多いですが、それは様々な時代の道や土地区画の歴史が重なり合った結果といえます。私にとって街を歩くとは、こうした街中のレイヤーをひとつひとつ明らかにしていく行為です。そのように歩くことで歴史がただ単に昔に起きたことではなく、現代と地続きの体感可能の出来事になると思っています。

レイヤーの事例1:川崎市 子母口富士見台古墳。現代の道が墳丘の断面の形状を露わにしている。
レイヤー事例2:川崎市 影向寺。平らに整えられた平安時代の礎石が転用された江戸時代建立の寺院建築。右側の礎石は江戸時代のもので平らに整えられていない。影向寺が長い時代の中で何度も立て替えられていることがよくわかる事例。
レイヤー事例3:夜中に友人と東白楽駅前を歩いている時に見つけた謎のエリア。道の四隅に支柱が据えられている。川が暗渠化したのちに橋の支柱だけが残されたもの。

今回も御成道や中山道周辺を歩くことで江戸時代にはどのように町が栄えたか、江戸時代に通っていた道が時代と共にどのように変化したかなど、様々な時代のレイヤーを確認することができました。石造物もその一部ですが、石造物だけでなく様々な建物や街の構造を見るのも街歩きの醍醐味です。

東十条駅のすぐそばを通る馬坂。馬坂は江戸時代は細く急な坂だったが、車の交通量の増加や鉄道の整備を経て道幅の広い高架の緩やかな坂に作り替えられている。
赤羽の御成道沿いに残された橋の支柱。用水路が暗渠化したのち橋の支柱だけがその場に残されたもの。

まとめ

ということで私が街を歩きながら考えたことをまとめてきたのですが、まだまだ書けていないことも多いので細かくは今後の記事にて書いていこうと思います。次回は実際に街を歩く記事を書こうと思っています。実際の街歩きではどんな発見があるのでしょうか?

もしまだ、「れきいし街歩き」に関して本誌を読めていない方はこちらから。vol.1、vol.2セット買いもできます。ぜひお手にとってご覧ください。
https://www.melonbooks.co.jp/circle/index.php?circle_id=64700


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