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『オッペンハイマー』
今年のアカデミー賞で良くも悪くも話題になった『オッペンハイマー』原題『Oppenheimer』を観てきた。(もちろん悪くもはロバート・ダウニー・Jrの振る舞いである!)
オッペンハイマーを楽しみにしていた理由の8割くらいはノーランの最新作であるという、なんともミーハーな理由だったのだが、久々に観る前と後でこんなにもテンションが違うことになろうかという体験をした。
のべ3時間の超大作で、最近Netflixの40分くらいのドラマでさえちゃんと観ることがままならない私でさえ、劇中はすっかり時を忘れて作品に没入してしまった。
意図的にオッペンハイマーに共感しやすい、彼を追体験するような作りをしている本作だが、研究職ですらない私がこんなにも彼(もしくは彼女ら)の葛藤を強く感じたのだから、今最前線で同じような仕事に従事している人たちはどんな気持ちになるのだろうか。
観た後の気持ちはそれはぐっちゃぐちゃであった。劇中4回は泣いたし、帰りの電車で劇中での自身の好奇心と、道徳心との葛藤や、今なお紛争や戦争が続くことに対しての絶望や、そして戦争反対の立場を取りながらもどこかで終わることなんてないんだろうとどこか諦めていることに気がついて(そういえばNTT法はどうなるんでしょうね)また絶望して、最終的に人間はどう考えても地球に有害すぎる、存在意義を見出せない。せめて存在するならもう少し無害であれよと自分自身の存在すら少し呪ってまた泣いた。
電車での私は完全に不審者であった。キャップとマスクと後は花粉症シーズンであることに深く感謝したい。はたから見たら重症の花粉症の人のそれであったと認識されているはずだ。
さて、オッペンハイマーの話をしよう。
恥ずかしながら、彼の存在をしっかり認識したのはノーランの次回作がオッペンハイマーらしいということを聞いてからだ。ノーベルがダイナマイトを作った人と科学に疎い私ですら知っているのに、なぜ彼の存在を知らなかったのかは甚だ疑問であるが、オッペンハイマーは原爆の父として歴史に名を残した人物であるらしかった。
公式のアウトラインはこちら
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。
しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。
冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。
世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。今を生きる私たちに、物語は問いかける。
映画をみて私がどうなったかは先に述べた通りであるが、これから3つのテーマにフォーカスを当てて、私がどう感じたのかを少しだけまとめたいと思う。
赤
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政府の極秘プロジェクトに参加するにあたり、個人の思想がこれほどの足枷になりうるのか、ということ劇中ではをまざまざと見せられた。(そして恐ろしいことに、この思想によって迫害されるということは今なおも続いていることも一つ挙げておきたい)
戦時中であることがそうさせるのか、ソ連vsアメリカという長く続く構造がそうさせるのか、科学に疎ければ歴史にも疎い私が解明することは難しいが、昨日のヒーローも今日にはスパイの容疑者になりうるものなのか。
取り調べを受ける時に、自分たちの人生を滅茶苦茶にされていると泣きながら訴える妻のキティの姿が印象的だった。(キティは元共産党員だし、オッペンハイマーの恋人だったジーンもまた共産党員だ。ところでオッペンハイマー女癖の悪さというか、優男ぶるところところは本当に腹立たしい。昔付き合っていた物理理論を専攻してた人になんか振る舞いがそっくりでそれを思い出して尚更気に触るのかもしれない)
葛藤
![](https://assets.st-note.com/img/1713003117027-eiNfNLHKfn.jpg?width=800)
自分の理論が正しいのかを確かめる場が武器の開発であった時、私ならどうするだろうか。好奇心を試す場としてやはり研究に身を投じるのだろうか。それとも自分が開発したものが一瞬で数万人の命を奪うものであることに怖気付いて辞退するのだろうか。
仮にオッペンハイマーが辞退したとして、原発が開発されなかったとは思わない。しかし、もしかしたら日本に原発が落ちなかったかもしれないとは思う。
原発が落とされた後、研究者たちに向けてスピーチをするシーンがあった。自分たちの功績を讃える一方で、被爆者の幻覚を見るそのシーンは彼の葛藤がピークになる瞬間と言っていいだろう。
そのシーンはまたオッペンハイマーだけでなく、研究者の葛藤も同時にあらわしているように思えてならない。オッペンハイマーに対して必要以上に熱狂することは自分の行為を必死に肯定しているように見える。
本作の主人公はオッペンハイマーだ。しかし葛藤は彼だけでなく、マンハッタンプロジェクトに参加した多くの研究者もまた彼と同じ葛藤を抱えていたことは(日本への原発投下の反対の署名活動を鑑みても)間違いない。
人間は争うことをやめないのか?
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オッペンハイマーは水爆の開発には否定的であった。原発は戦争を終わらせると言う大義があった。しかし結果はどうだろう。その後水爆が開発され、今もなお新しい武器がどんどん開発されている。(ドローンだってそうだ)
以前友人に、なぜ今なお戦争が世界にあり続けるのだろうかと聞いたら、人間は争うようにできているからと答えた。理由なんてあってないようなもので、本能で争うようにインプットされているのだと。その時は絶対そんなことないだろうと反論したのだが、今はもしかしたらそうなのかもしれないと思っている。
私はできるならば争いからは遠いところで生涯穏やかに過ごしたい。小学生の時、第二次世界大戦を歴史の授業で習った時、それは完全に人ごとであった。自分の人生に戦争が存在することは全く予想していなかった。
それが現実はどうだ。ロシアがウクライナに侵攻した。パレスチナでは長年戦争が続いている。北朝鮮のミサイル実験はもはや慣れてしまって、またかと感じてしまう始末である。
人間は争うことをやめないのか?
そんなことはないと強く否定させてくれ。