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『きっと、それは愛じゃない』

突然だが、私は『アバウト・タイム』が好きだ。ラブストーリーの中だったらかなり好きな映画の1つだ。そのスタッフ陣が製作した、すべての悩める現代人に贈る新たな愛と人生のガイドブックムービー(公式より)『きっと、それは愛じゃない』原題『What's Love Got to Do with It』を観てきた。

公式にあるアウトラインはこちら

ドキュメンタリー監督として活躍するゾーイは、久しぶりに再会した幼馴染で医師のカズから、見合い結婚をすることにしたと聞いて驚く。なぜ、今の時代に親が選んだ相手と? 疑問がたちまち好奇心へと変わったゾーイは、カズの結婚までの軌跡を次回作として追いかけることに。「愛もなく結婚できるの?」と問いかけるゾーイ自身は、運命の人を心待ちにしていたが、ピンときては「ハズレ」と気づくことの繰り返し。そんな中、条件の合う相手が見つかったカズは、両親も参加するオンラインでお見合いを決行。数日後、カズから「婚約した」と報告を受けたゾーイは、カズへの見ないふりをしてきたある想いに気づいてしまう──。

https://wl-movie.jp/

思うに、この映画を観て、主人公ゾーイと自分を重ね合わせる人は少なくないのではないだろうか。かくいう私もその一人だ。

マッチングアプリの顔写真を左右にスワイプするのも飽き飽きしたし、初めましてを無限に繰り返すのにも疲れた。世の中にはPDCAサイクルをまわすように出会いを効率的にこなして最短距離で結婚する人もいるらしいが、どうやらその胆力が私にはないし、なんならゾーイのごとく結婚って本当にいいものなの?みたいな疑問すらうっすら心に持っている。

もしかしたら、子供を持たない限り結婚するメリットって医療費控除の合算と相続の際くらいじゃね?と思ってたりする私の方が結婚に対して懐疑的かもしれない。(確定申告のシーズンですね!)

そんなベリーベリーゾーイである私がこの映画をみてどう思ったかを家族・民族・結婚の3つの観点からレビューしていきたい。

家族

公式サイトより

この映画を語るにあたり、まず外せないテーマが家族であると言えよう。本作はラブストーリーである以上にファミリー映画であるような気さえする。

まずストーリーの骨組み自体も家族になるには愛が必要?ってのをエプソードを通して問いていく流れだ。

ゾーイの家族とカズの家族、映画には大きくこの2つの家族が登場するわけだが、ゾーイの家族は離婚して母親とゾーイの二人だけだし、両親もお見合い結婚のカズの家族も駆け落ちした妹と絶縁していたりで、昔のアニメのような家族像とは少し異なっている様子だ。

なぜか社会は”完璧”な家族というものを前提に話を進めたがるが、実際家族間で何もトラブルがない家族なんて世界の何%だろうか。

カズの婚活・結婚を通して2つの家族がそれぞれ和解していく様は、ファンタジー感がありつつも、かなり感動的だ。

民族

公式サイトより

どうやらパキスタンにおいてお見合い結婚はメジャーなものらしい。

婚活サービスのコンシェルジュに結婚相手の条件を言う時のカズの両親の必死さったらない。わかりやすく例えるなら、もちろん仏教徒で、でも普段着物は着てなくても大丈夫で、ただ出身は東京の人がよくて、父親は公務員に限るみたいな、そんな感じ。

なんとなく自由恋愛から結婚が一般的になった現在の日本社会の感覚的に慣れている私からするとだいぶ古めかしい慣習のようにも見える。

パキスタンにおける娘の存在意義みたいなものが結婚の時の契約式の時にかいま見れて少し悲しい気持ちになった。

ただそれを単純に否定したり指摘したるすることはナンセンスであることももちろん理解している。伝統というものは偉大であると同時に恐ろしいものであり、個人はそこに安易と飲まれ込まれるものなのだろう。

監督のシェカール・カプールはパキスタン生まれ、脚本のジェミマ・カーンはパキスタン前首相のイムラン・カーンと結婚した(そして離婚した)経歴をもつ。彼らを通したパキスタン像が作品をよりリアルにしているに違いない。

結婚

公式サイトより

カズが言っていた。たまにハズレを引くこともある、ただそのハズレが何度も続くようだったら、ゾーイ自身に問題がないのか問いかけるべきだと。

ハズレってなんだろう。結婚に向かない男を選び続けること?
カズの恋愛観では恋愛におけるゴールはやはり結婚なのだろうか。

そう定義するなら、今なお未婚の私もまた、ハズレの男を惹き続けてきたとも言える。えっ辛すぎ。

33にもなると周りは大体結婚してるか、なんなら結婚して離婚してもう一度未婚になった人すらいる。一人で楽しんでいるだけなのに、なぜか勝手に年々肩身が狭くなった気がするのは本当に気のせいなのだろうか。

結婚しなくても楽しい人生になってきたから未婚率が上がっている。雇用の機会も均等になって女の人も稼ぐようになったから、結婚する意味も薄れている。社会は年々独身に寛容になっている。本当にそうなの?

ゾーイの母親が(自身は離婚したにもかかわらず)しきりにゾーイに結婚を勧めるのは、本当にゾーイのことだけを思ってのことなのだろうか。結婚できないと自分はenoughな存在じゃないと思ってしまうとゾーイが母親に泣きついた時、私は心から彼女に共感した。無意識の気持ちに正面から向き合うのはしんどい。

愛がなくても家族になれるのか?

映画の中では(少なくともゾーイとカズは)NO、愛は必要という結果になった。ラブストーリーとしては100点の答えであり、100点の結末である。

私自身の考えとしては愛より結婚に向く感情はあるよな、だ。
愛をベースに信頼とか安心をトッピングするものがこの映画における答えだとしたら私は全くその逆である。信頼とか安心をベースにそこにトッピングとして愛があれば最高、それが私における結婚である。

直近でその予定はないし、半ば子供のいない人生を想像している今、もはやするかもわからない結婚であるが、もし私が結婚するときはそこに愛があればラッキーだなと思う。

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