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家庭を大事にしない人

私は50代で、短大2年生までずっと昭和で育ちました。
1家庭には子どもが3人位はいて、父親の稼ぎだけで家族が食べていける時代でした。

これは社会的になのか、我が家だけなのかは分かりませんが、毒父は家庭を顧みず仕事とアフターファイブの飲み会に逃げていましたね。

我が家には都会から田舎に引っ越して精神状態が悪くなった毒母がいました。
でも毒父は妻にはボーナス時にデパートで高価な物を買ってやるだけで、精神面を支えることは全くせず、心のお世話と家事は全て私たち姉妹に丸投げでした。

会社のストレスや夫婦関係が上手くいっていないことを、子ども達にぶつけ、暴言/暴力/人格否定で独裁者になり、夫に労わられない妻はとうとう精神が狂って、特急列車に飛び込んで、命を落としてしまいました。

私は毒母がとても嫌いでした。
愚痴のごみ箱にするし、姉妹差別や友達差別をして、いつも私を貶めるし、病気で家事ができないのもあったけれど、ネグレクトでした。
私は長女だったので、ことさら強く当たられましたし、女性らしく成長するのを忌々しく思っていたようです。

毒父は家庭を大事にしなかったので、妻には先立たれ、子ども達は結婚後、実家に戻ってくることはなくなりました。
姉妹仲も大変悪く、結婚後一度も会ったことは無いし、苗字も住んでいるところも知りません。

毒父は罰が当たったんだと思います。
仕事に生きることは大変だったと思いますが、家族を大事にすること、思いやることはできたはずです。

昭和の時代は妻に経済力がありませんでしたし、「子どもがいるせいで仕事を辞めた」「子どもがいるせいで働けない」「子どもがいるせいで離婚できない」という子どものせいで自分の人生が犠牲になったという考え方の母親も多かったと思います。

私も毒母から「あんたなんか産まなければよかった」と言われる度、とても傷つきもしたけれど、自分一人で生きていくことができない女性ほど惨めなものはない、とも思いました。
離婚したくても、帰れる実家、頼れる実家は、兄夫婦の家になっているので頼れなかったでしょうしね。

毒母はこの傍若無人な夫と一生を添い遂げるくらいなら、死を選んだのだと思います。
毒父が死んでも、毒母と同じ墓に骨を収めたくはありません。
毒妹は、菩提寺から出して、別々に樹木葬にしたいそうです。

私は毒父を人殺しと同じだと思っています。
自分で自分の家庭を壊したのです。
好き勝手、自分勝手に生きてきた人の最期は、孤独です。
令和のいま、熟年離婚とかもそうですよね。
特急列車に飛び込んでミンチになるくらいなら、別れた方がいい。
私がもう少し大人になっていたら、力を貸せたかもしれないけれどね。
今となっては、どうしようもありません。







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