見出し画像

いじめられた・裏切られた心の傷

7~8年くらい前に精神科で障害年金の診断書のコピーをもらったら、「統合失調症/社会就労不可/人間関係を構築できない」と太字で書いてありました。
私はずっと、自分のことを社交不安症・うつ病くらいに思っていましたから、そのとき初めて統合失調症の病識ができました。

私は統合失調症の被害妄想で、常に周囲の人に嫌われている、悪口を言われている、家の中での暮らしや外出を見張られている、という精神状態で生きています。
だから社会で働けないし、人間関係の構築もできません。

人間関係を構築できない自覚は物心付いた幼稚園生の頃からありました。
社交不安症の中でも対人恐怖症と会食恐怖症が酷くて、幼稚園のときからクラスの子と向かい合ってお弁当を食べることがどうしてもできなくて、意地悪な幼稚園の先生が大変怒って、お帰りさせてもらえず、夜暗くなるまで教室で先生が対面で睨みつけるなか、お弁当を食べるように強要されましたが私は一口も食べませんでした。
他にも遠足とか行事で先生に目を付けられていっぱい意地悪されて私はその先生が大嫌いでした。
その後その幼稚園は中退して他の幼稚園に転園しました。

会食恐怖症は大人になって精神疾患になって会社を辞める日までずっと続いていました。
50代になった今でも人が集まるお稽古事のお茶会とかが大変苦手で、お稽古事は恐怖で一切できません。
高齢者になったら、デイサービスとか絶対無理です。
独り家に篭ります。
介護が必要になる前に死にたいわ。(切実)

人間関係が構築できないのは生まれつきの引っ込み思案な性格もあるし、あとやっぱり人が信じられないんだと思います。
学校の友達/職場の人間=いいように利用してくる人、いじめる人という認識です。

私は小2のときに東京から田舎に引っ越してきたのですが、田舎者のよそ者に対するいじめは本当に酷かったですね。
私は口を利かない、絶対泣かない、我慢強い子だったので、いじめの主犯格の男児が泣くまでいじめてやると、いろいろな酷いことをされ、2年生の3学期に鉛筆の先で私の眼を突つかれたのです。
私は1年分溜まっていた怒りと恐怖と悲しみがぶわっと噴出してきてずっとずっと、家に帰ってもずっと泣いていました。
転校してから1年間ずっといじめられていたことも、初めて毒母に話しました。

夜にいじめの主犯格の男児の母親が家に来て「子ども同士のことでお互い様だから」と言った言葉忘れられません。
でも毒母の逆鱗に触れて最後は泣いて土下座していましたけれどね。
その後中3まで一度もそいつと同じクラスで組まれることはありませんでした。
学校が認識するほど、それほどにひどいいじめでした。

いじめの主犯格の男児はその後夏の高校野球の地区予選の決勝で最後のバッターだったのですが、結局試合は負けました。
その対戦相手の取手二高が甲子園で優勝しました。
そいつは高校野球では華やかなレギュラーでしたが、でも裏の顔はいじめの主犯格だったんです。
いじめをされた側は一生心の傷を負っているのに、いじめた側はのうのうと生きているんです。

社会にでてからもいろいろな職場でいじめに遭いましたが、私が統合失調症を患ってしまう引き金になってしまった会社で、唯一信頼している人に利用されるだけ利用され、見捨てられ、裏切られたことは、もう二度と人を信じてはならない!と固く心に誓うものになってしまいました。
その人はインターネットで名前を検索すれば画像付きで出てきて、今ものうのうと社会で働いています。

いじめなんて忘れて、裏切りなんて忘れて、明るく生きられればいいのですが、いじめた側は忘れてしまっても、いじめられた側の心の傷はあまりに深いし、絶対に忘れられない。
毒親の虐待と同じですよね。
毒親は絶対に自分の非は認めませんし、全部記憶を改ざんして忘れてしまう。
うんと苦しんで死ね!そして地獄に落ちろ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?