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ドクダミ茶の味わい。

六月になると、いっきにむし暑い日が多くなる。今日もそんな一日だった。小学校にも、水筒を持ってきている子がちらほらと増えてきた。つくしも、もうそろそろお母さんにお願いしようと考えている。つくしの家の夏のお茶はドクダミという薬草の入った、苦いようなすっぱいような、おいしくないお茶だ。ただの麦茶にしてくれたら何杯だってのめるのに、そのお茶がカラダにいいからと、お母さんはぜったいに薬草を入れるのだ。
「暑くてのどがカラカラになるよりは、ドクダミ茶でもないよりまし」

その日お放課後、宿題のノートをもって、つくしはのんちゃんの家に遊びにいった。家にはのんちゃん一人だけだった。犬のワンダフルが、中庭にある犬小屋でお昼寝していたけど、お客さんがきたのをちらりと片目でかくにんして、またすぐに昼寝の続きにもどった。
「ちょっと待っててね。お茶を用意してくるから」
つくしを子ども部屋に案内した後、お母さんみたいな口ぶりでそう言うと、のんちゃんは台所にいそいそと歩いていった。学校で会うのんちゃんと、家にいる時ののんちゃんは、ほんの少しだけちがっているような気がする。
(もしかしたら、わたしもそうなのかな。家にいる時と学校にいる時とでは、ちょっとだけちがうのかな?)

シーンとした子ども部屋で、つくしは正座をしたままのんちゃんがもどってくるのを待った。お客さんというのは、そういうかた苦しい動きをする方が、お客さんらしさが出るのではないかと思ったのだ。
「おまたせ」
おぼんにグラスを二つのせて、のんちゃんがもどってきた。とうめいの濃い茶色のお茶がクラスの中で、まだゆれていた。
「ありがとう。いただきます」
ふたりは小さなテーブルに向き合ってすわり、両手をあわせてグラスを持ち上げ高級なお茶をいただくような格好でお茶をのんだ。
「おいしい」
ゴクリとのどをならしてから、つくしが思わず言った。
「そう?これ、ハブ茶なの」
のんちゃんは自分の家のお茶がほめられて、まんざらでもないという顔をしている。
「このお茶、目にいいんだって。うちのお父さんもお母さんも、目が悪くてメガネをかけてるでしょ」
つくしは、ふつうの麦茶の香ばしい香りが好きなのだが、ハブ茶ときたら、さらに上をいく香ばしさだ。大人がよく飲むブラックコーヒーに少し近い味なのではないかと思った。

家に帰る道すがら、つくしはまた考え事をしていた。大した意味もないことをああでもない、こうでもないと考えるくせがあるのだ。その時は、前にのんちゃんの家に遊びに行った時のことを思い出していた。土曜日のお昼に、のんちゃんの家でパンを食べたのだ。大人がだれもいない土曜日の昼に、子ども二人でひっそりと何かを食べるのが、うれしくて、小さな秘密を共有しているみたいな感じがドキドキするのだ。家からおにぎりか何かをもって行こうかとつくしが言ったら、のんちゃんが、
「何ももってこなくていいよ。うちに食パンあるから」
と言ったのだ。お昼ごはんの時間になると、のんちゃんはれいぞうこから八枚切りの食パンを取りだした。
「これ、すごくうすいね」
「うん、サンドイッチ用だからね」
のんちゃんの家では、時々うす切りのパンを食べるらしい。つくしは、てっきりパンをトースターでやくのだと思っていたのに、のんちゃんは二枚の平たいお皿の上に、二枚ずつ食パンをならべた。
「このパンにね」
のんちゃんは、もう一度、れいぞうこをあけて、何かをとり出した。
「チョコレートクリームをぬると、すっごくおいしいの」
つくしは、その日はじめてチョコレートクリームというものをみた。つくしの家では、食パンはやいて、マーガリンをつけて、その上からハチミツか、いちごジャムをつけて食べるものだ。それなのに、やかないで、チョコレートなんかをぬって、食べることもできるなんて。チョコレートクリームをたっぷりぬったパンは、とても、すごく、とびっきり、おいしかった。
「お母さんがいたら、きっとおこられる。」
と、のんちゃんは口のまわりに茶色いクリームがついたまま、楽しそうに笑った。
「いつも表面にうすーくぬるだけよって言われてるの」
ふたりは大人がいないのをいいことに、たっぷり、ベットリ、チョコレートクリームをぬって食べたのだ。
「これ、ケーキみたいにおいしい」
つくしも口のまわりを茶色くしたまんま、まんぞくそうに言った。あの時、たかが食パンでも、それぞれの家庭によって味わい方がちがうのだということを、つくしは知ったのだ。
「今回はお茶だったんだ」
お茶もやっぱり、それぞれの家によってこんなにもちがっている。それは小さくても強いしょうげきだった。

次の週からつくしも学校に水筒を持っていくようになった。ピンク色の水筒をパカンとあけるたびに、
「ああ、うちのお茶もハブ茶にしてくれないかな」
と思ってしまう。つくしはお母さんにのんちゃんの家のお茶のことを話そう話そうと思いつつ、まだ言い出せないのだった。
「お母さん、ハブ茶って知ってる?すごくおいしいよ。それに目にもいいんだって」
そう言ったらお母さんもきょうみを示してくれるかもしれないのに。でも、つくしも心の中ではちゃんと知っているのだ。自分の家の当たり前の事について文句をいうことは、お母さんを悲しませるかもしれないということを。

この頃、つくしは毎日何人かの友だちと水筒のお茶をこうかんするようになっている。大半の子の水筒の中は、麦茶なのだけれど、同じ麦茶なのに味はちがう。濃い味の麦茶もあれば、うすくて水みたいな麦茶もある。香りが強いのもあるし、苦みが強いのもある。じつは、面白いのは麦茶の味そのものではない。つくしがだれにも知られずにこっそりと観察しているのは、お茶をこうかんした相手の子の表情なのだった。つくしの水筒にはもちろんドクダミ茶が入っている。
「うえ、まずい」
「ちょっとくさい」
いろいろな反応はあるけれど、ドクダミ茶をのんで、おいしいと言った子は、一人もいない。ドクダミ茶をまずいと言ったあと、どの子も自分の水筒のお茶をさもおいしそうに口にする。口直しでもしているかのように。そこで、つくしは思ってしまう。
「そっちのお茶も、とくべつおいしくはなかったよ。」
と。心の中で思うだけだ。ただみんなの反応をみていると、だれにとっても自分の家のお茶が当たり前のお茶なんだなあと、つくしにも分かる。当たり前のものを味わっているつもりで、みんながちがう味のお茶をのんでいるってことが不思議な気もするし、面白いなとつくしは思う。当たり前のものを否定されるのは、けっこうつらい。自分がこれでよしと思っているものを、そんなものはダメだと言われると心が傷つく。ドクダミ茶はすきじゃないけど、友だちにまずいまずいと言われると、つくしの心もへこむのだ。だからお母さんには、のんちゃんの家のハブ茶のことは言わないほうがいい。つくしは、自分が自分の頭で考えて、ちゃんと一つの答えまでたどりつけて、うれしかった。ただそれを、だれにも話せないのは残念だった。

「ねえ、つくし。今日の午後、お母さんのお手伝いしてくれない?」
雨がふった後の、気持ちの良い青空が広がる日曜日のことだった。友だちと遊ぶ約束もないひまな時間をどうやってすごそうかと、つくしは退屈していたところだった。お母さんからのたのまれごとなんてめずらしい。
「いいよ。何すればいいの?」
「山のふもとに、ドクダミの葉っぱを取りに行きたいの」
毎年、お母さんが葉っぱを取りに出かける時は、お父さんの仕事がお休みの時で、お父さんが妹の雪乃のめんどうを見ていた。今回は、出張にでかけているお父さんの代わりに、つくしに雪乃の相手をしてほしいと言うのだ。
「家で、子ども二人で留守番してくれててもいいんだけど、そんなに遠くでもないし。三人で出かけたらいいかなと思って」
山のふもとというのは、つくしたちの団地のすぐそばの山の入り口のことだ。なだらかな坂道を三十分ほど登っていくだけで、竹やぶのボウボウと生い茂る、山の景色が広がっている。
「いいよ、行くよ」
お母さんはドクダミの葉っぱを入れる大きなカゴを肩にかかえて、もう一方の手で雪乃の手をにぎって出発した。つくしは二人の後ろから、ゆっくりゆっくりと歩いて行く。

気をぬくと、お母さんの後ろ姿がどんどん遠ざかる。予想に反して雪乃も泣き言を言わずに、同じペースで坂道をのぼっていく。つくしは息が切れてきた。はあ、はあ。自分の呼吸する音が耳にひびく。お母さんは、ますます前へ前へと進んで行く。つくしのことなどふり向きもしない。
「ここよ、ここ」
じゃり道が山の上の方まで続いている、そのそばの脇道をするすると下っていくと、チョロチョロと水の流れる音が聞こえてきた。小さな川が近くにあるようだ。竹がおおって暗くなった道をずんずん進んで、突然、お母さんが立ち止まった。
「あったわあ」
つくしも、やっとお母さんに追いついた。
「ねえ、どれがドクダミ?」
つくしはドクダミが生えているところを、これまで見たことがなかった。つくしにとって、お茶の中にお茶っぱになって入っているもの、それがドクダミだった。
「この花よ」
お母さんが指さしている先にあったのは、小さな白いかわいい花だった。
「この白い花がドクダミ?」
するとお母さんが言った。
「白い部分は、ほんとは花じゃないの。花弁っていうんだって。花はこの先っちょに、すごく小さい黄色いのが、たくさんついてる、これが花なの」
お母さんは、ドクダミをくきの根元に近い部分から、一本一本、ていねいにハサミで切りとっては、カゴに入れていった。
「ドクダミって、家の近所でもたくさん生えてるの。でも、この川の近くのドクダミは、とくべつ葉っぱがみどり色で元気があるからね。きっと身体にもいいと思うのよ」
つくしもお母さんのまねをして、ドクダミの葉っぱをちょきん、ちょきんと切っていく。へんなにおいがする。
「くさい?まあ、そうね、薬草なんだからね」
とお母さんが笑った。雪乃はじゃり道のはしっこで地面にらくがきをして遊んでいた。

遠くで鳥の鳴き声がする。それ以外はしずかな場所だ。ときたま風の音がする。音が消えたり、また現れたりするけど、それは目に見えない。たけ林の葉が、サワサワとゆれるくらいだ。山の入り口の、木陰になった暗い場所で、自分たち親子がだれにも見られることなく、薬草をつんでいるのかと思うと、つくしは、まるで魔女にでもなったような気持ちになってくる。お母さんは家で家事をやっているときよりも、うれしそうに見える。これがほんとうの自分の仕事なんだといった顔つきで、ちょき、ちょきとドクダミの葉をつんでいる。はなれたところから、つくしが声をかけた。
「ねえ、お母さん。なんでこの葉っぱ、ドクダミなんて名前がついたのかな」
このくさい葉っぱが、ドクダミという名前であることが、つくしはかわいそうな気持ちになってきた。名前のせいで、ますますみんなにきらわれ、いやがられているんじゃないかな。
「そうねえ、名前で損しているかもしれないね」
といちおう返事はしてくれたものの、お母さんはもう、カゴをいっぱいにすることしか頭にないようだ。

あれから一週間、ベランダののき先で束にしてつるされたドクダミの葉っぱが、カサカサに乾燥し、風にゆれている。あれほど青々としたみどり色だったのが嘘みたいに、みどり色と茶色をまぜたような、きたない色に変身している。もう死んでいる。葉っぱの死体だ。
「でも」
この葉っぱを麦茶といっしょにせんじたものを、私たち家族は、夏のあいだ毎日のんでいる。お茶の成分がカラダの中にたまりやすい毒素を、外に出してくれる。そうお母さんが話してくれた。葉っぱは死んでしまったように見えるけど、葉っぱにふくまれている目にみえない力が、お茶の中にしみ出てくるというわけか。少しこわいような、ありがたいような、へんな気持ちだ。不思議な力が自分たちの体内をめぐっている感じがする。
「魔女がつくる、不思議なのみものドクダミ茶」
ドクダミというイヤなひびきの名まえと、葉っぱをつんでいるときの、お母さんのほくほくした笑顔が、つくしの頭の中でまじりあった。うちのお茶はお母さんのお茶なんだ。お母さんの発する目に見えないエキスも、多分入っている。
「うちの、まずい、ドクダミ茶」
「お母さんの、魔法をかけた、カラダに良い、ドクダミ茶」
今度ヒマなときに、ドクダミのお茶の歌でも作ろうかなとつくしは思っている。




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