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バンクシーのホテルで見た、世界が知らないパレスチナ太郎の暮らし 

「君たちを砂漠の真ん中に放り出しはしない。バスが来るまで一緒に待ってあげるから、安心して」。

太郎、と私たちが便宜上呼んでいた、名前を聞いても発音が難しくて覚えられないけどフレンドリーなパレスチナ人タクシードライバーの彼、本名はAshraf Abu Alsheikh、が言った。ベツレヘムでバンクシーのホテルに泊まり、難民キャンプや分離壁を見学した後で、死海へ移動して遊ぶ予定にしていた私たちを乗せて走りながらのことだ。

分離壁って何?って話は前回書いたので、そっちも読んでいただけたら嬉しいです。

で、パレスチナタクシードライバー太郎くんの話だ。私たちが予約していた死海沿岸のホテルはイスラエル領内にあるから、パレスチナ人の太郎と、パレスチナナンバーの車は入っていくことができないというのだ。

太郎があちこち案内してくれた、バンクシーの有名な作品が描かれた壁。写真撮影用に、キャップや花束などの小道具まで準備してあってノリノリで撮影。2019年5月ワタシ撮影
バンクシーのホテルから徒歩ですぐのアイダ難民キャンプ。再び家に、故郷に戻れるように、という祈りの象徴の大きな鍵が見える入り口。
難民キャンプという言葉から、白いテントがずらり、というのをイメージしていたが、パレスチナの人々が土地や家を追われ難民になった時、つまりイスラエル建国以来70年が経過し、次第にテントからコンクリートの家屋に代わっていったそうだ。屋上に設置されているタンクには「非常時」用の水が溜めてある。イスラエルはパレスチナの水資源を抑え、パレスチナ人が自由に使えないようにしている。水の配給が遅れたり、止められたりすることもしばしばあるからだという。

2019年に友達に誘われるまま、何も知らないままイスラエルとパレスチナ方面を旅した私の頭に強烈に焼きついたのが「イスラエル人はパレスチナ(の領土)に自由に出入りできるけど、パレスチナ人にそれは許されていない」ということだ。

ベツレヘムの市内、バンクシーホテルの向かい側にある分離壁。天使が開けようとして頑張っている絵、ナイキの広告Just move itを捩ったJust remove itというメッセージなんかが印象的。全長約800kmにも及ぶという。2019年5月 ワタシ撮影

出発前は忙しくて、旅の予習をする時間もないまま、ミラノ・マルペンサ空港から1人でエルサレムへ向かった。イタリア暮らしの私が日本からやってきた友達と、エルサレムのホテルで無事合流。エルサレムに3泊した後でいよいよこの旅の最大のお目当て、バンクシーのホテルに泊まるため、パレスチナ自治区の町ベツレヘムへ向かったのだった。

エルサレムのホテルで呼んでもらった、立派な大型タクシーのドライバーは、ベツレヘムの街、つまりパレスチナへ入ってから、それが観光ネタになっているのか、「ここはA地区で、他にB地区とC地区があって」と説明をしてくれた。でも、前日にエルサレムからヨルダンにあるペトラ遺跡まで弾丸日帰りツアーをした、そのせいで眠くてボーッとしていて、そのA地区、B地区、C地区の区分けの意味がよくわからなかった。

エルサレムからバスで往復20時間ぐらいかけて弾丸ツアーしたヨルダンの世界遺産、圧巻のペトラ遺跡。

ただ、その説明をしながらドライバーがスピードを緩め見せてくれた立て看板の文字に、強烈なショックを受けたことだけ、今でもはっきり覚えている。英語(だったという記憶)で長々と文章だけが書き連ねてあるその巨大な立て看板には、こう書かれていた(と、ドライバーが涼しい顔で説明してくれた)。

この境界ラインを許可なく超えたパレスチナ人には、死の危険がある」。

死の危険って?と質問すると、射殺されたりする可能性、ということだった。

A地区 パレスチナ政府が行政権、警察権共に実権を握る地区。2000年時点で面積の17、2%

B地区 パレスチナ政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区。2000年時点で面積の23、8%。

C地区 イスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区。2000年時点で面積の59%、2018年時点では面積の60%以上。

現在でもヨルダン川西岸地区の主な統治者はイスラエルであり、パレスチナ人住民はイスラエル国防軍軍律によって統制されている(ユダヤ人入植者は、原則としてイスラエル国内法が適用される)。また、C地区はA地区、B地区を包囲し、さらに細かく分断するように配置されている。

wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E5%B7%9D%E8%A5%BF%E5%B2%B8%E5%9C%B0%E5%8C%BA#%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E8%80%85%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%8C%BA%E5%88%86

わたしたちがいたベツレヘムを含む、パレスチナのヨルダン川西岸地区は、自分の国にいながら、たった17%の地域でしか自分達で自治することが許されず、許可なく境界線を越えたら射殺される危険があるということなのだ。射殺は極端な例だとしても、仕事に行くためだけでも、何時間も検問所で並んでチェックを受け、帰ってくる時もまた何時間も並んで、という大変さだと太郎が言っていた。

で、死海へ行く話。お金を多めに払えば、イスラエル側からタクシーを呼んで迎えにきてもらうこともできた。でもベツレヘムで楽しく、親切に観光案内をしてくれた太郎に、死海まで長距離の仕事をさせてあげたかった私たちは、彼にそのことを伝えた。すると彼は寂しそうな顔をして言った。

「僕はイスラエルの領域には入っていけないんだよ」。

そして冒頭に書いたように、砂漠の真ん中のバス停で私たちを下ろし、死海行きのバスが来るまでの間、ずっと一緒に待っていてくれたのだ。

今回の戦争が始まってから、インスタの太郎のアカウントにメッセージをしてみると、返事がすぐにきた。仕事はもちろんできないし、危ないので全く外に出かけられない。イスラエル軍とパレスチナ住民の衝突が激しく起こっているし(ニュースでは100人以上の死傷者も出ているという)、ガザ方面からミサイルの破片が飛んできていてとても危ないそうだ。ガザの人たちの悲惨な状況とは比べ物にならないとはいえ、パレスチナの人たちの歴史的な苦しみは、報道されていない西岸地区にも確実に、非情に、存在している。


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