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いつになっても逆上がりができない
小学生の頃は家庭訪問があった。
私の記憶に残っているのは小3の頃からで、当時担任だった林先生がとにかく苦手だった。
母子家庭だった私の家には、大人の男性の声が聞こえてこない。だから、学校で聞く生徒を叱りつけたときの声がすごく怖かった。
それと男性なのに「私」の一人称を使う所が、当時は奇妙に思えて薄気味悪かったのだ。
そんな林先生が家庭訪問に来た日の室内に刺す光具合や座っていた場所なんかを鮮明に覚えている。
私はクラスで目立たない生徒だったので、林先生は数分で母親との会話を終えてしまい、気まずい時間がしばらく流れていた。
それが悲しくて、ショックだった。
林先生が帰ると、母親が「あいつの話そっこーで終わったな。なんなんだよ」と麦茶を片付けながら口悪く言っていた。
子供は大人が味方につけば強い。
なんだかそれから林先生が怖くなくなった気がする。
小学5・6年生の頃には悪魔のような女教師が着任した。まさしく『女王の教室』だった。
私は運動能力が著しく低かったが、マラソン大会は喝采をよく浴びた(ビリの子に対する頑張れ〜の意味で)。
今でも苦い思い出がある。
持ち前の運動神経を活かして、体育の授業で逆上がりができるようになるまで何度も練習させられたことがあった。
他のクラスメイトは逆上がりができるのにいつになってもできない私は、1時間目が始まる前の朝とクラスメイトが鉄棒より先の授業を受けている体育の時さえも練習していた。
校庭の隅で、できもしない逆上がりのために何度も土を蹴った。それまで巻き起こした砂煙を一度に集めたら、小さな竜巻ができたかもしれない。
ある日、私はどうしても鉄棒が嫌になった。それで朝の授業が始まる前に練習する時間をサボってしまった。
教室で先生が来るのを待っていると、ツカツカ靴の音が聞こえてきて、怒鳴りこみながら教室に入ってきた。
「ねぎし!!!!!鉄棒はどうしたんだよ!!」
静まり返る教室、もう何もかも嫌だった。
家が恋しくなり、1秒でも早くDSを開きたかった。
日記を投稿する者にとっては惜しいが、嫌な記憶ほど綺麗さっぱり忘れてしまう。
怒号が飛んだ後のことを私は覚えていない。
ただ、その女教師が出来の悪いクラスメイトの頭を引っ叩いたり、連絡帳をぶん投げたりしていた思い出は今でもしっかり覚えている。
体罰と言えば聞こえは悪いが、厳しさの中にも優しさを感じるような部分もあった。
当時は辛かったが、今覚えば悪い経験ではなかったと思う。叱られて学ぶことだってあった。
もう10年は前のことなので、たぶんその女教師は退職しているかその間際だろう。
今の小学校では、叱らない教育をしている学校もあるようだ。
しかし、叱られず育った子供が社会に出た時にどんな結末を招くだろう。
なんとも難しい世の中である。
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