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つまらないものを作る理由を知った

セルフレジに立ち入る前、毎回お辞儀してから入ってたら面白いかなぁなんて考えながら20%引きのパック寿司を買った金曜日の17時。

今週はやけに長く感じた。感覚では水曜日が特に長い。週休3日制を導入するなら水曜日にすべきだと思う。そうしたら、1時間はダラダラして終わらせる仕事も40分くらいに短縮できるのに(微妙な作業効率上昇)。

そんな話はよしとして。

最近、なるほどなと思った話がある。

それが「つまらないものを作る理由は自身の内面性が豊かではないから」というもので、これを知った時は自分のことを指差して言われているような感覚がした。

きっかけは是枝裕和監督の対談本を引用した話をラジオで聴いたからだった。BTSの活動休止理由もこれに近いらしい。

実に言い得て妙だと思う。

というのも、早く何者かになりたかった過去の自分は否定することなく存在していた。

毎日記事を投稿していた時期があるが、これもその焦りからだった。

つまらないものを書いている実感は指先から体の中を駆け巡り、精神を蝕んでいた。

でも、止まってはいけないと思った。辞めたら何かを失ってしまう気がした。

実際、毎日何かを生み出すことは価値があるのかもしれない。でもそれは、正しい努力の積み重などを理解した上で成り立つものかもしれない。

だからこそ、ただ闇雲に突っ走ればいいものでもないと整理できる。

毎日生み出すことを続けるのではなく、本を読み、映画を観るなどを通して考えを深め、精神を育成するプロセスが本来必要だったのだと今は思う。

何かを作らなければ自分が空っぽになってしまうと焦り、無理して作り上げたもの。

それらを作る時間は間違っていたのだろうか。

いや、細美武士も「遠回りするたびに見えてきたこともあって」と歌っていたのだから全てを否定する必要はないのかもしれない。

ただ、乾いた雑巾を無理に絞っても水が出ないのは確かである。

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