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SNSに鍵をかけないと......?

眠れない夜、枕元に置いてあるスマホに手を伸ばす。

時計を見ると布団に入って40分が経っていた。スマホの光に目を細めつつ、手探りで読書灯の明かりをつける。

数年前ならNAVERまとめで殺人鬼まとめをダラダラ読んでいたものだが、今はない。とりあえずXを眺める。

都知事選の投稿やAV女優の炎上。興味もないので適当にスクロールしていると、あることを思いついた。

中高生の頃に友達だった人の名前で検索してみよう。

もう23歳の私達だ。何か成し遂げた人がいるかもしれない。

そう期待して、思いついた名前を入力してみる。

しかし、何人か検索してみたが1人の友人が大学で油絵を専攻していること以外はわからなかった。

そもそも名前を忘れているので母数が少ない。

うーん、これでは悔しい。

そのときにはもう熱が入っており、意地でも同郷の友人達が何をしているのか知りたかった。

こういうとき気軽に聞ける友人がいればいいものだが、私は数年前に全てが嫌になって人間関係の断捨離をしまくった。

これには過去の私のバカバカ、と思えるほど可愛くもなく、何してんだよお前と思うばかりである。

しかし、奇跡的にインスタのIDを暗記していた(きもちわる!!!)友人がいるので、そこから葉脈のように気になる人のアカウントを探してみることにした。

しかし、アイコンをタップしてもほとんどの人が鍵をかけていて、肝心の投稿がわからない。

用心深い。流石ネットリテラシーのなった友人達だ。俺たち華のパズドラ黄金期世代だもんな。

稀に鍵をかけずに投稿している友人がいて、その投稿から「変わらないな〜」と思う人もいれば「え!?だれ?」と思う人を見つけたりする。

やはり鍵はかけるべきだ。私みたいな人間がいるぞ。

中でもびっくりしたのが、中学が同じ友人達でディズニーに行っていたことだ。それも、当時はあまり接点がなさそうなメンツで。

私の知らない所で同郷の友人達は楽しそうに生きている。それなのに私は地元からはるか離れた青森で1人寂しく職場と自宅の往復をするだけ。

対比に虚しくなってきた。

いやいや、SNSは一瞬の輝きを投稿するものなんだから、その友人達だって日々辛いことがあるだろ。そう落ち込むなよ。

もう1人の私が優しく声をかけたあたりでいい感じに眠くなり、ポンっとスマホを置いて寝返りを打った。

私が眠った次の日も、私の友人達はそれぞれの生活を送る。

でもそれを私は知らない。いままでもこれからも。

中高生の10分間休み時間をもう一度だけ、私が亡霊になった状態で眺めてみたいと思った。

きっと、私の知らない世界があったはず。

私の透明な体を、陽気者達が通り抜けていく。

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