見出し画像

「今が楽しければいい」と思う生き方ができない。多分一生無理。

先日、人材育成コンサルタント会社の男性と話す機会があった。

その人は30代で4人の子持ち、営業系の仕事から転職を3回して今の職場に流れ着いたそうで、今の仕事は家族との時間を取れる所に満足感を持っているようだった。

口々から飛び出る「20代の頃にベンチャーで働き詰めになればよかった」「若い頃は女遊びしかしてなくて」と言う言葉に、ひぃ〜〜っとなる。

「いやぁでも、本来の過去があって今家族と幸せならいいじゃないですか」と23歳の私が言ったことは失礼極まりなかったなと反省している。

ただ、一つだけ心に残っている会話がある。

彼曰く、「30歳になったとき、20代でいかに経験を積んだかが如実に表れる。だから、20代での過ごし方は本当に貴重だと思う」と言った。

私はその話に相槌を打ちながら、遠くを眺めていた。

今年の春から通信大学に通い始め、空いた時間で資格の勉強を始めた。挫折しないように人より時間をかけてもいいから続けようと思った。

上司と折り合いが上手くいかず、心身共に疲労した。だが、休職はしなかった。

苦労とは、何をして苦労なのだろうか。いまいちわからない。

家の炊飯器の保湿が弱くて、いつも微妙なご飯を食べているのも苦労に入るのだろうか。

多分入らない。


同期に「今が楽しければいいじゃん」と言われて、納得ができなかった。

過去の時点で未来を楽しめるような生き方を想像して生きなければ、「今が楽しい」なんて言えないんじゃないかと。

今の自分が将来の自分に何が必要かを考えなければ、易々と幸せは掴めないと思ってしまう。

私はこんな考え方をするから、つまらない人になるんだろうな。もっと純粋に生きたらいいのに。でもそれができないことは自分がよくわかってる。

ただ、「あぁ楽しかった」と思って死にたいとは常々思う。佐藤愛子さんもそんなことをエッセイで書いていた。

そう思うには、やはり苦労は必要なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?