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これからも『週プレ』を買う時はちょっと照れるだろうと26歳の冬に思った話

2日に26歳になったが、人生で初めて『週刊プレイボーイ』を買った。なんてことはない。爆笑問題と神田松之丞の鼎談が読みたくて買った。それだけのことだが、とても照れた。職場の近くのファミリーマートで買ったので、同僚に見られたらどうしようとか、出来れば男性のレジで買いたかったなとか、無用な心配に額が若干汗ばんだ。もういい年のオジサンなのに、『週プレ』で照れるのはどうしてか。

みやまるが小学生だったころ、グラビアアイドル華やかななりしころだった。優香と小池栄子に始まって、MEGUMI、井上和香、小倉優子、根本はるみ、インリン・オブ・ジョイトイと、様々にグラマラスでセクシーなお姉さん達がスターになった。そもそも“グラドル”という言葉もこの時代に生まれたものだと思う。『週プレ』はそうしたグラビアを月曜からコンビニやキオスクに並べ、「月曜からエッチなオジサン」を応援していた。今では信じられないほど純粋かつ純情だったみやまるは、「俺はあんなエッチなオトナにはならんぞ!」と思いつつ、実は興味しんしんという、ありがちな男子だった。純粋な子供である我々の見てる世界から、「グラビア」、「セクシー」、「エロ」という子供は入れない“異界”を繋ぐ扉、それが『週プレ』なのだった。だからなんとなく「畏敬の念」というか、近寄り難いオーラを放つ雑誌だった。

ちょっと話は脇道に逸れるが、デジタルデバイスでカンタンに「エロ」という“異界”にアクセスできる「1億総エロ事師時代」の今、当時のみやまるみたいなマセガキは、近所の河原や雑木林の中に「エロ探し」してるのかな?まあ、だいたいあの手のエロ本やDVDは雨ざらしで全然見れないとか、今にして思えば大したことない水着グラビアだったとかお決まりの「オチ」があるのだが、あの行動力は今の子供にあるのかなって思う。自分より下の世代の「デジタルエロネイティブ世代」にも、家族との共有のパソコンの履歴を消さなきゃいけないなど、野坂昭如が書かなかった大変さがあるって聞いたけど。

閑話休題。思えば、もっと女性に言いにくいようなDVDや雑誌を買うことだってあるのに、なぜか『週プレ』の方が照れた。これは『週プレ』の絶妙なポジションに起因するのだろう。もうAVやエロ本なんかは明確に「18歳以上から」と線引きが決まっていて、客観的な数字でオトナか子供かのラインがある。だが、『週プレ』は“18禁”ではない。もちろんエッチな記事もあるが、18歳以下も買えるコーナーにある。つまり、「普通の雑誌よりはエッチだが、エッチな雑誌の中ではライト」という位置付けだ。この絶妙な立ち位置こそ、我々ウブだったマセガキを悩ませ、オトナへの入り口として鎮座しているのだろう。そうした感覚が、小6くらいから進化しないまま、『週プレ』と自分の距離感となった。

あの日の僕のレコードプレーヤーは 少しだけ威張ってこう言ったんだ
いつでもどんな時でもスイッチを入れろよ そんときゃ必ずお前 十四才にしてやるぜ

ザ・ハイロウズの『十四才』という曲(甲本ヒロト作詞)の末文であるが、良い音楽、というより良い作品はジャンル問わずいつでも若い頃の感受性を呼び戻してくれる。『週プレ』に照れるのも、まだまだ自分が若いから、グラビアのお姉さんたちが、童心に戻しくれるからなのかもしれない。思えば冒頭で「爆笑問題と神田松之丞の鼎談が読みたくて」なんて、「エロ目当てじゃないよ」みたいな“言い訳”をわざわざしてる。26になってもまだまだ「プレイボーイ」どころか「ウブなマセガキ」だ。でも『週プレ』を買うのはちょっと照れるような感覚は、ずっと持っていたいし、その方が若々しく楽しい人生な気がする。

#読書 #エッセイ #雑誌 #エロ

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