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ヒューマンコンポスティングという選択

ヒューマンコンポスティングが気になって仕方のない今日この頃です。
興味のきっかけは、コチラからなのですが…。

ウェルビーイングってなんだろう?#54ヒューマンコンポスティングが分解する家制度
https://open.spotify.com/episode/7jQZy7CCdJZjAiDyrWT1bU?si=jVpnh_mrRTiaj_VY568RAg&dl_branch=1

その後、コチラの記事も読みました。
松本紹圭の方丈庵「オーガニックな葬送」
https://note.com/shoukei/n/n9686efe65607

そして、ネタ元とは別のコチラの記事もシェア致します。
Greenz.jp「人間もコンポストできる! 自然界の循環を活用して約30日間で土に還る。新しい葬儀の選択肢「堆肥葬」って?」
https://greenz.jp/2021/06/04/human_compost/

>人間だってコンポストと同様の仕組みで堆肥化できる(上記HPより引用)
衝撃的ですよね。

そして、火葬した骨の行方…。自然に還るものだと信じていた散骨も自然に還るという事はなかったことにも衝撃的でした。

私が気になってしまった背景には、もともと「墓」問題は障害のある子がいる我が家でも将来的にどうすればいいのだろう…と心の中で思っていた問題だったから。
お墓の維持にしても、散骨してどこかに私たち親が埋葬されるとしても… 移動と金銭的な困難を抱えるであろう子どもに残しても良いものなのだろうか?と思っていたから…。

それでもお墓参りをして、私の心が落ち着くように、我が子もそのような行為を通して、心の拠り所としてのどこか…というのも必要な場合もあったりもするよね…とも思ったりして…。

そう思っていたので、この堆肥化して土に還るというのは、とても興味深く心をなんとなく明るくさせるものでもありました。

土となって帰る場所を作りたい。死してもなお…。
別に子どもが決めたのならば、子どもの手元に置いてもらったって、子どもの意思を持って森なり海に撒いてもらえばいい。
子どもにとっての帰る場所とならなくても、森や海になる事が出来る。憩う場所としての土になる。

そんな事を考えると死生観が変わっていきます。

お墓って、すごく物質的で…
持つ負担を誰かに追わせたくないな…とはもともと思っていた私。
逆に私が私自身の親の事を考えたら迷惑なんて思わないのに…。
持つことに対して、どこかそう思ってしまう。
それは、どこか今の私の心の問題にも大きく関係しているような気がします。そして、どこかに私のように思う人もいるのではないかと感じています。

でも、土に還れたら…

役に立たない人なんていないはずなのに、まだ求めてしまう終わりを…
何かの…誰かの…土台になる。何かの…私自身の支えになるような終わり方が出来るのではないか…。このことは救いになるのではないか?
そんな事を考えるとますますとこの堆肥化が頭の中を駆け巡っていきます。

こんな思いを学び仲間の一人に聞いてもらいました。
彼女の住まう地域(日本ではない)には、土葬が残っているそうです。

その彼女の地域で言われているのは、土葬された昔の人の体よりも現代に生きて土葬された人は、添加物で汚染されていて、腐敗するのに時間がかかると聞いたことがあるという事でした。

土葬であれ堆肥化であれ、自分の体が土に還れるように、自分の体をどう老いさせるのか?
これは、生き方そのものにもつながっていくし、地球の循環をも考えることにもつながるように思います。

自分がどうやって死んでいくのか。また、自分が死しても生きている人たちに…生まれてくる命にどう残すのか?

そう考えるとますますと想像は膨らんでいきます。

僧侶の紹圭さんは、冒頭の音声配信の中で言っています。
土に還る時に温かい感覚を感じるのではないか?

学び仲間との話の際にその言葉を思い出しました。
そして、私のイメージの中には毒をも温かく溶かしていく土が浮かび上がって…。

どうしたって今ココに生きている私たちがどんなに頑張ったって、きっと毒をも含めて生きているのだと思うのだけれど…。土に還る時は、土がどうにかしてくれる。

堆肥化して土に還っていく事、そんな亡くなり方が選べるのならば、自分の努力ではどうにもできない毒をも持って生きていける。生きやすくなるのでは…。

これがメジャーになってきたら、価値観が変わるのではないか?

テクノロジーが価値観を変えていく…。
自分の体感を持って感じる
終わりと今を考えるひと時になりました。


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