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僕が宮古島に戻ってきた理由


こんにちは、Noriです!
今日は僕が宮古島に戻ってきた理由についてお話ししたいと思います。

宮古島に戻るまでの経緯

元々、宮古島でホテルの支配人をしていましたが、コロナ禍が明けたことを機に新しい挑戦をしたいと思い、2022年の秋に退職して上京しました。
その際に宮古島ではITがまだまだ発展しておらず、今後の時代に取り残される危機性を感じ、ITを学ぶことにしました。

上京後はシステム・アプリ開発の会社に就職し、営業に携わっていました。
そこでITを学びながら、数多くのビジネスモデルを知り、それらのビジネスの課題解決を行なってきました。

上京して1年が経った頃、宮古島のある方から「宮古島で何かやりたいなら、今やるべきだよ。その為に手伝えることがあれば何でも言ってね。」とアドバイスをいただきました。そこで、所属していた会社を辞め、宮古島の課題解決に取り組むことを決意し、宮古島に戻りました。

宮古島の現状と課題

1年ぶりに宮古島に戻ると、新しい建物やお店、ホテルがたくさんできている一方で、無くなってしまったものも多くありました。
改めて宮古島にとって本当に必要なものは何かを考えさせられました。

宮古島では様々な課題が存在しています。
それらの課題を解決するためにはどうしたら良いかわからず、社会問題をビジネスに落とし込む事を教えている、株式会社ボーダレスのセミナーを受けました。
そこでは、社会問題をビジネスに昇華し、お金のことだけではなく、関わる人々が幸せになる方法を伝えていました。
「儲けることだけを考えると本質がずれてしまう。まずは問題を知り、それを解決する方法を考え、解決したらどうなるかを考えることが重要だ」
という教えが心に響きました。

宮古島に戻って感じたことは二つあります。
一つは建設ラッシュにより乱立する建物、特に宮古島では今までなかった木造住宅の増加が気になりました。
もう一つは、大人のための場が増えているのに対し、子供のための場が減っていることを問題に感じました。ボーリングセンターがなくなり、最近では宮古島で唯一のスイミングスクールも閉鎖しました。

宮古島の未来を考える

これらの問題をどうにか解決したいと思い、宮古島の建築物の新しいあり方を考え、宮古島にとって大切な場所を守っていく為に行動することにしました。
そのために会社を立ち上げ、どのような発信ができるかを考えています。
特に、未来の人たちに繋ぐ為には宮古島の若者たちが宮古島をどうしていきたいかを一緒に考える必要があると思っています。

アイデンティティの形成

話は変わりますが、皆さんはアイデンティティがどのように形成されると考えますか?
僕の考えでは、
・自身で意思決定し、選択することと
・自身が生まれ育った場所のルーツを理解することが重要だと思います。
選択肢が多いことが良いのではなく、自分で考えて選択することが大切です。またルーツが重要なのは、自分自身の特性や言葉にできない感性を理解するためです。
例えば、僕がアイスランドに行った際に言葉にできない心地よさと親近感を感じました。調べてみると、アイスランドと日本は地質学的に繋がっていることがわかり、アイスランドはヴァイキングの島、宮古島は倭寇の生き残りが移り住んだ島という共通点も発見しました。
このように自分の中で言葉にできない何かを理解するために、自身のルーツを知る必要があると思っております。

これからやっていくこと

なぜこの話をしたかというと、昔とは違い宮古島でも働く選択肢は増えているにもかかわらず、将来的に宮古島に戻るという選択をする若者が増えていない事もアイデンティティの形成が関わっていると思います。
また僕自身が宮古島から上京した時、自分に自信がなく、自分が何者なのか悩んだからです。これから宮古島を旅立つ若者たちが同じように悩まないよう、僕が伝えられることをしていきたいと思います。

宮古島の歴史やルーツ、自身で意思決定していくことの大切さを伝え、宮古島にいながら挑戦できるような場を作っていけたらと思っています。

吉田松陰の作った松下村塾のように、自然と人が集まって、共に学び共に考えることのできる場を創造できたらいいな〜と思っているので、ぜひ自分もやりたいという人がいたら連絡ください!!

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