想像力があるのに「想像力がない」と言われる問題について考えてみた。

私は一般的にみて、「想像力豊か」だと言われる人間だと思う。

一つの事柄を見聞きすると、沢山のものを連想するし、頭の中に樹形図みたいにばーっと広がっていく。
A4見開きのマインドマップをひたすら埋めろ、と言われたら、私にとっては容易い。何文字でもいいから、これに対する感想を書け、というのも同様だ。
でも、その代わり、読書の途中でふと目に入った単語から勝手な想像が広がってしまい、手が止まることもよくある。なにかしたいと思っていても、目についたものによって中断されることはとても多い。

想像力があるというのは、日常を楽しんだり、創造をする上では有利な特性だ。
けれど、不利になる場面もある。

例えば、「仕事」はその一つだ。
仕事でいつもこんな考え方をしていたら処理速度が落ちるし、頭に浮かんだ多くの事象を比較検討しすぎて優先順位を間違えてしまうこともある。
要するに仕事が遅くてミスが増えるのだ。そのうえ脳ミソはとても消耗する。

仕事では想像力が必要だ、とよく言われるが、それは私の得意な想像力とは別のものに感じる。

仕事で想像すると良いとされる事柄は、目の前の人がどのような意図で動いているか、納期から逆算して何時ごろに何を手配すれば良いか、メールの文章が相手から見て分かりやすく親切に出来ているか、など……そういうところの「想像力」であることが多い。

こういう時は想像する対象は決まっていて、その内容にも正解がある。
いや、正解はないよ、だから想像するんだと言われるかもしれないが、その時その時で「正解」と呼ばれるベストな選択肢はある、のである。
(少なくとも、「ベター」とそうではない「悪手」はある)

ただ、個々のケースによって複雑な因数が絡まっており、正解が毎回異なるというだけの話だ。
だから、その正解を探るために「想像力」を働かせてくれ、という文脈になる。

残念ながら、私のように想像力豊かと言われて育った人間は、こういう「想像力」を使うのはむしろ苦手な人が多いように感じる。
日常的に想像が広がってしまう人間にとって、その対象や指向性をコントロールすることは困難だ。

想像力があるはずなのに「ない」と言われて悩んでいる人は、この2つが別物であることに気づけば良いのだ。
自分の想像力と、仕事で求められる「想像力」が違うと気づいて、ああそうなんだな、とまずは受け入れれば良いのだ。

そして、(これが厄介なのだけど)、この2つは別物であっても完全に別の能力ではなく、共通している部分も多い。そのため、想像力がある人(ありすぎて逆に支障をきたしている人)は、その能力の出力方法を少しだけ変えるように心がけてみると良いと思う。


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同じ言葉を使っていると、色々とややこしくなるな、などと思った今日この頃でした。

時人

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