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小学校英語前史
小学校英語は戦前からの取り組みがあった。一部の公立尋常小学校、高等小学校、私立小学校だったが、現代に比べてスケールが小さかった。
実は英語は高等小学校発足当初(1872年 明治五年)から教えられていた。開校した学校の割合は、少ないときで2%台、ピークでも10%弱。しかし一部の私立小学校、(高等)師範学校の附属小学校では先進的な英語教育が展開されていた。
小学校英語の推進者はわずかで、英語教育の第一人者であった岡倉由三郎(岡倉天心の弟)でさえ反対者だった。
理由は、小学校のような国民教育の場は、多くの人に必要な能力を伸ばす場であり、英語のようなわずかな人間しか必要としないものを教える場ではないという。
これに変化が生じるのが、日本国内外の国際化と戦後の英語学習の大衆化だろう。
私立小学校と違い、学習指導要領に従う必要がある公立小学校では、英語教育は教育課程から除外されていた。例外なのは千葉県で、1972年に小学校に英語教室を開講していた。この構想は1962年から存在した。これは新国際空港計画が浮上していた頃であり、当時の知事のリーダーシップで構想がスタートしたという。
それ以降、2002年までに数百校にまで拡大した。それ以降は総合的な学習の時間における英語活動に移行した。
この目的は国際理解意識を育むことであり、中高の教科としての英語とは一線を画していた。
千葉県に続いて、1987年に横浜市で「小学校国際理解教室」始まった。
これらのプログラムの大半は国際理解教育・国際交流活動であり、狭義の英語学習プログラムではなかった。
国の教育政策レベルに小学校英語が位置付けられたのは、1984年から開かれた臨時教育審議会である。しかし、英語教育の早期化に難色を示していたのは文部省だった。臨教審の委員には学校教育現場を知る者が必ずしも多くなく、教育現場の実情から遊離した提言が出されがちだった。
この政策が臨教審直後に具体的に結実したことはなかった。しかし、この答申を受ける形で文部省の初等中等教育局長の私的諮問機関で「外国教育の開始時期の検討」が始まる。
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