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自分を一番に愛していなければ

突然春の陽気ですね。休みの日に昼間外に出て気温にびびる、というのは、平日の朝晩しか外に出ない事務職にありがちな現象。

きょうは、色柄で言うと黒に真紫にヒョウ柄という、ゴリゴリ強めの服装です。顔が薄い反動か、派手なものが好き。

谷崎の3番目の妻・松子さんは4姉妹の2番目だったんですけど、3番目の妹・重子さんは、お顔は地味な造りだったけれども、着物は派手好みだったらしくて、それ読んだときに重ちゃんそれめっちゃわかるわ〜ってなった。なんでわたしがこんななれなれしいかって、桐野夏生さんの『デンジャラス』が大好きだからです。この小説は重子さんの視点から、文豪であり義兄の谷崎潤一郎と、その周りを取り巻く女たちを描いた傑作。ハードカバー持ってるのに文庫も買った。こんなに胸がすく結末はないといえる結末で、そのシーンだけ何度も何度も読んじゃう。

太宰は言うに及びませんが、谷崎もなかなかに多情な作家だった。なんかもう、『デンジャラス』読んでると腹が立ってくるときがあるんですけど、でも谷崎のことは、同じ時代に生きていて、アプローチされたら、恋してただろうなーと思う。太宰はね、しないね。いや、10代だったらしてたと思うけど、アラサーになったらああいうたぐいの男のヤバさに鼻が効くようになっちゃって、そいつの色気とか性的だらしなさを目にすると、ときめきじゃなくて怒りに転化するようになっちゃったのよ。なんじゃこのいいかげんな男!なめとんのか!みたいな。まあ、言うまでもなくなめてんだろうけど。無自覚に。女を。自分しか愛してないんだよ。自分にしか矢印向いてないの。太宰にすっごいむかつくのは、そういうとこが自分と似てるからだな。自分にしか興味ないくせに、きまぐれに異性との関わりを求めようとするところが。でも小説は面白い。あたりまえだけど。

谷崎は重ちゃんいわく「芸術的感興」を女に求めて、それを小説に書く作家なので、常に女に焦がれている必要がある。食い物にしてるなあ、と思うけども、小説を書く人間は、多かれ少なかれ周りの人間を食い物にしていると思う。ので、これは特段責めるようなことでもないかなと思う。谷崎の描き方はあまりにもその人の本質を捉えているから、モデルにされた人の「魂を傷つける」のだけども。

わたしレベルの書き手でも、小説を書くということは周りの人を巻き込むことだと、身にしみてわかる。わたしとこれまで言葉を交わした人そうでない人、深く関わった人浅い人、わたしを愛した人嫌った人、わたしを傷つけた人わたしに傷つけられた人。普段は忘れているのに、書いていると自然に溢れ出てくることがある。

わたしは記憶力がいいほうではないし、人間を観察するという行為が好きじゃないので観察もしていないつもりなのに、それでも、出てくるのだ。それが、いつか誰かを傷つける気がしている。怖いな、と思いながら書いている。熟練した書き手だから傷つけるというわけでもなく、未熟な者には未熟な者の、鈍い切り口というのがある。そのほうが、より相手を深く傷つけることもあるのだ。研ぎ澄まされたナイフで裂くより、ギザギザの石ころで抉り取ったほうが痛みが強いように。

物書きは、業が深い。それはとりもなおさず、言葉の力があまりにも強いからだ。ひとたび印字されたもの、書きつけられたものは、一生消えない。物語というのはもちろんフィクションだし、仮にノンフィクション作品であったとしても、書き手の内部を通った時点でフィクションになる。でもフィクションの中にちりばめられた無数の真実が、描かれた相手を傷つけることもある。それを知っていてもなお、書くことをやめられない。自分を一番に愛していなければ、こんなひどいことはとても続けられません。

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