たぶん、時は来た

怒りを持続できないのが自分の持ち味だと思ってたんですけど、ちがったのかも。ただ我慢強かっただけなのかも。って、思うんですよ、さいきん。

たとえばこの人嫌だなーと思っても、なんとなく許したような雰囲気でやっていけちゃうんですよ。でもここのところ些細なきっかけで、これまで「許せてた」相手に怒りや不満が爆発しちゃって。その瞬間に、やべ、わたし実はめっちゃ怒ってたっぽい、って気づくんですね。遅え。そして、キレながら半分他人事みたいなんだよ。えーそんなに怒ってたのー!?みたいな。無自覚なんだね。

仕事自体はわりと好きなんですけど、同じ職場の気分屋のおばさんとがっぷり四つで仕事するのだけは本気で嫌なんですよ。失礼だし、距離感が向こう次第で伸び縮みするのが迷惑。そのおばさんが威圧的な態度やド失礼な言動をするたびに、「(やべー絶対近いうちに今のわたしじゃないほうのわたしがキレてしまう)」といまから戦々恐々としています。いつ出てくるかわかんねえんだもん。今日もちょっと出てきかけた。相手が失礼千万な態度やったから、あ、はーいっつってそのまま部屋の外出て、書類届けに別部署まで出かけてきた。わたしは三きょうだいの末っ子と死ぬほど相性が悪いのですが、それはこういう無礼者である確率が高いからです。むろん全ての人じゃありませんが、今まで煮湯を飲まされてきた人間のきょうだい構成として多かったのは確かです。

だいたい空気悪くすることにかけて、わたしに勝てると思ってんなら甘い。わたしが普段周りにアホほど気を遣ってるのは、思うがままに振る舞うと空気を凍らせたり、人を不快にさせたり傷つけたり、平気でしてしまうからだ。そしてそれを恥じている。その恥を捨てたとき、すべてを終わらせる行動に出ることができるようになってしまう。でも、それはだめだ。わかってる。わかってるよ。もっと上手いやり方があるはずだって。だけど、許せてたはずのことも許せなくなってきているいま、どうするべきかわからなくなってる。

長年自分を蔑ろにしてきたツケを、ようやく払わされてるんだ。また人が周りからいなくなるかもしれない。仕方がない。変わるときだ。行かなければ。たぶん、時は来たのだ。

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