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“神様のボートに乗ってしまったから”

わたしは家の中にひとりでいれば回復するし楽しく遊べるので、家にひとりでいるのをつまらないと感じたことはない。変わり映えしないことを嫌だと思ったことも。

ただ、これまでどおり趣味や小説書きや仕事に勤しんでいても、なんか人生がひまだな、と感じたときが一度だけあって、それが夫と出会う直前だった。あのひまさ加減がわたしの心の余裕というか、他人を受け入れる余地であったのだと思う。余裕ができたからずっと放置していたマッチングアプリをふたたび始め、知らない人ともう一度会うことを許容できたのだ。再開直後変なのにひとり当たって、その次が夫だった。あのとき「ひまだ」と思わなければいまのこの状況はなかったのだと考えると、半ばあっけに取られるような気持ちになる。

話がすこし逸れたが、ともかくわたしは基本的に環境の変化を求めない。決まった安心できる場所で、空想に耽っていたい。それがわたしの喜びだ。しかし結婚に伴うさまざまなことどもは、無論環境を一変させた。安心して過ごせるようになるまで、ふた月ほどかかったような気がする。いまは、安心して過ごしている。だから、ふたたび変化を受け入れる気になれたのだろう。

そう、大きな変化が起こっている。それをどうすべきなのかはわからない。わたしにできるのは、良い変化も悪い変化も感じながら、ただ生きていくことだけだ。わたしの力ではどうにもならないことが世の中にはたくさんある。たくさんあると知りながら生きるのをやめないことに、意味があるのだと思う。

さいきんは、どんどん遠くへ流されていくような感覚がある。安心できる場所に辿り着いたと思っても、人はそこに長くは留まれないのかもしれない。江國香織さんの『神様のボート』の葉子の気持ちが、なんとなくわかるような気がするのだった。

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