29歳になりました。
ミヤケです。
3月4日をもちまして29歳になりましたので、今の心境と、少しだけ誓いを立てたいと思います。
【感謝】
まず、無事に、幸せに、29歳を迎えましたこと、本当に周囲の皆様のおかげだと感じています。
いつもありがとうございます。
誕生日は、その名の通り、僕の生まれた日です。
29年前、幾つもの偶然が重なり、生を受ける運びとなりました。
どこかで聞いた話ですが、
人間という生き物は、たとえ赤の他人であったとしても、99%は遺伝子上同じ生き物なんだそうです。
姿形、大きさ、色、・・・僕たちの目に見える違いや特徴は、遺伝子上に大差はなく、雄大な自然や宇宙からすれば、同一視できそうなくらい些細なものなんだそうです。
しかし、人間の中に埋め込まれた知恵や煩悩、感覚、感情は非常に高度で、そのような違いすらも一喜一憂の対象となり得ます。
人間の業ですかね。
〇〇に比べて自分は・・・
自分は大丈夫、なぜなら〇〇と比べると・・・
知らず知らずのうちに、目に見えるものを自分勝手に規定し、自分を規定し、
いつしか、変えよのない現実を恨み、羨み、自分を見失い、
自分の人生で生きることをやめ、
他人の人生に生きることを必死でやり遂げようとする。
しかしながら、折に触れて大切な人、大切な存在と心を通わし、自分の人生を保つことができる。
人生というものは、その繰り返しのように思えてきます。
その繰り返しの中で、ほんの少しどちらかに振れることで、幸せな人生/幸せに思えない人生、になるのだろうと思います。
ほんの少し、些細な違いなんだろうと思います。
その繊細さの中で、今、僕が幸せを日々感じながら、今日が一番だと思えているのも皆様のおかげです。
心から感謝いたします。
弱さと怖さに気づいた一年
さて、28歳を簡単に振り返ろうと思います。
僕の中の大きな軸は、
・介護福祉
・学習支援
・個人としての存在
と・・・
区分けして書きましたが、しっくりきませんね。。。
どれも相互に作用しているので、一つと言えば一つです。
この一年を一言で表すと、「弱さと怖さ」でした。
日々の暮らしでは気づきづらい、むしろ、気づかずに通り過ぎてしまうほどだと思います。
自分の心の奥底に飼い慣らし、なかなか日の目を見ないものだから、気づいたらブクブクと太り、外に引っ張り出すことすらも難しくなりそうでした。
僕は弱い。
僕は怖いと思う。
現実と内なる自分のギャップを俯瞰して見るほどに、そのように感じてくるのでした。
「みんなの思うような人じゃない!」
幾度となく心の中で叫ぶ自分がいたのも事実です。
恵まれているにも関わらず、それを裏切ろうとする自分、迎合しようとする自分。
気づけば僕は、自分の人生という道から外れ、どこかわからない道を進んでいくのでした。
自分の人生なるものがチラッと見えた
自分の人生とはなんなのか。
それに気づけた・・とまではいきませんが、
自分なりに一つの光を見出せたようにも思います。
好きな仕事を好きな仲間とし、地域活動はどんどん成長し仲間も増え、貢献したいこともたくさん見つかり、家族が増え、家族とうまく関係を築き、友人関係も変わらず大切にし・・・
時折そんな自分が嫌になります。
恵まれ過ぎたが故、でしょうか。
いや違います。
環境ではない。
元来僕は、生真面目でも誠実でも真面目でもなく、
自分のありたいようにしてきた人生でした。
家族や気の置けない友人には、わがまま放題に振る舞い、自由気ままに勉強や仕事をし、集中と怠惰の不安定さの中を楽しんでいました。
そうだ。
そうだ、僕は、僕なんだ。
いつしか、生きようとしていた他人の人生のレールから降り、自分の人生を生きようと思いました。
自分の人生。
聞こえはいいですが、
きっと誰かを傷つけます。
きっと誰かを悲しませます。
でも、きっと、もっと、楽しいに違いない。
そうも思えます。
自分の自分による自分のための人生の中で輝いている人は、大切な人たち
自分の人生を生きてみたい。
そんなことを考えながら、一番に思い浮かべたのは、僕の大切な人たちでした。
僕は、全世界を幸せにはできないかもしれない。
でも、大切な人だけは、幸せでいてほしい。
そのために、どうすればいいか。
自分や、多くの人が共有している常識の中で生きていては、それは毛頭成立しないものだと感じます。
だったら、作ればいい。
僕1人だけじゃなく、大切な人たちと作ればいい。
大切な人たちが幸せであるために、手段は選びません。
作らないでいいんなら、作らないし、
作った方がいいなら、作ります。
近日中に、まず一つ、やってみようと思いますので、どこかでお話しする機会のある方は、直接共有させてください。
20代最後の一年が、
いつの日か、
素晴らしい人生の、
入り口になることを信じて。