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~林業の盛衰~ 東京の森林・林業(中)

みなさんこんにちは。林務担当です。
前回、赤字で採算取れず成熟した人工林が放置されているとお話しました。

採算性がないなら、何で植えて育てようとしたの?と思うかもしれませんね。

今は低迷している林業も、かつては超儲かっている時代がありました。
その頃の人たちは、林業で採算が取れなくなるなんて露ほども思っていませんでしたよ。

今回は、東京の森林・林業が現在の姿に至るまでの、林業の栄枯盛衰な歴史についてのお話です。

1.林業の繁栄

昭和初期から語っていきます。
戦中は軍事需要、戦後は復興や住宅建築のために需要増大が続き、木材価格がドンドン上昇していた時代です。

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(1)戦中~戦後混乱期

戦中は軍需で、戦争が終わったら復興のために木材が大量に使われました。
大量伐採により、山がはげ山と化し、森林の持つ災害防止などの機能が失われていきました。

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白黒だから雪山のように見えますが、草木がなく土が剥き出しの状態です。こんな状態では山が崩れやすくなるほか、降雨は土に浸み込まず山肌を流れ落ち、河川の急激な増水が生じてしまいます。

実際、カスリーン台風被害など甚大な水害や土砂災害が頻発していました。

昭和22(1947)年9月に関東、北日本を襲ったカスリーン台風は、利根川上流域に多くの降水をもたらし、山腹崩壊に伴う土石流の発生や河川の氾濫により、利根川流域の1都5県で死者数1,100名、家屋の浸水303,160戸、家屋倒半壊31,381戸、田畑の浸水176, 789haの被害があった。当時の資料によると、罹災者数は埼玉県及び東京都だけで72万人にのぼると推定された。
(平成25年森林・林業白書 より)

この甚大な被害を受け、この頃の政府にとっては、森林の回復と木材供給量アップが喫緊の課題でした。
これに対し、政府は治山事業と造林補助事業で対処しました。

治山事業は主に山間部の荒廃地で行われました。でも国土保全が目的なので、森林が回復したとしても木材生産のための伐採はさせてもらえません。

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一方、造林補助事業は植栽等の木材生産を目的とする、森林所有者等の林業活動に補助金を出す事業です。
こちらは森林も回復するし、木材不足解消にも繋がるし、一石二鳥でした。


(2)戦後復興期

戦後復興期では、スギやヒノキなどの針葉樹は、住宅や東京オリンピックの用材として需要が高く、供給が追い付かずに価格が高騰しました。

そして不足する針葉樹の代替として、広葉樹もパルプ用材に使い始めます


なお、丁度その頃には燃料革命(石油・天然ガスの普及)が起きています。

昔は、たきぎや木炭(薪炭)は煮炊きや風呂の燃料として不可欠で、家の近くにある天然林(主に広葉樹)は重要なエネルギー源でした。
しかし、燃料革命で薪炭は使われなくなりました。

以下の表は、三宅島と御蔵島の木炭生産量合計の推移です。
(H12の三宅島噴火以降はごく微少量のためデータなし)

木炭生産量

昭和40年代の燃料革命で、急激に生産量が下がったのが分かると思います。
このように、薪炭の需要がなくなり、生産源である天然林の価値は下がりました


価値の薄れた天然林(広葉樹)は次々に伐採されパルプ用材となりその跡地には経済的価値が高かったスギやヒノキが植えられました。
これを拡大造林と言います。

世論は伐採を増やすことを望み、これに応え政府も拡大造林を推し進めた結果、造林ブームが起こり、今の人工林の4割がこの頃に植えられたのです。

と、ここまでは林業が非常に儲かっていた時代です。


2.林業の低迷

木材輸入が自由化(関税の撤廃)されて以降、次第に林業の低迷が始まります。

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昭和39年の輸入完全自由化前から、外材の輸入量は年々増えていました。

さらに、昭和40年代に変動相場制に変わり、その後の円高トレンドで外材の価格が下がり、外材輸入量は急増しました。

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高くて供給が安定しない国産材は使われなくなり、安くて十分な供給量の外材が木材の主流になったのです。


そんな状態の所に、1991年(H3)のバブル崩壊が追い打ちを掛けます。
不景気で木材需要自体が減り、国産材の価格はドンドン下がりました。

木材価格

木材価格は1980(S55)年をピークに下がり続け、現在に至るまで長期低迷から抜け出せなくなっています。


3.まとめ

さて、みなさん、
スギやヒノキは、植えてから木材にできるまで最低50年程度かかります。
近年やっと、1970年代に植えた樹が収穫できる感じです。
造林ブームで植えたスギやヒノキたちも大きくなっていることでしょう。


でも、50年間ただ待っていたわけではありません。
良い木材になるよう、間伐や枝打ち等の保育作業を行い管理して来ました。

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前回も出しましたが、これ ↓ を見てください。(黄色が支出、緑色が収入)

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木材価格が低迷した現状では、50年間の経費と伐採後に山から運び出す費用を賄えず、売ろうとすると赤字になります。

収益が見込めず林業活動は縮小、森林は放置されるようになりました。
現状打破には、生産性の向上や流通コストの削減などが考えられますが、今の所大幅に改善できる程の見通しはついていません。


そりゃあ、今伐ったら赤字確定なら、わざわざ伐採したくないですよね。

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成熟した人工林が、こんなに伐採されていないのも頷けますね。
(成熟は大体10・11齢級。12齢級前後が造林ブームで植えた樹でしょうか。)


今回の記事は以上で終わりです。
東京の森林・林業が現在の姿になった経緯はお分かり頂けたでしょうか?
長文、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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