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後輩から見た「先輩たちの恐れと不安」の話〜大学生⑦〜

こうしてブログを書き始めてから、当事者たち(先輩、後輩、同期などなど)から懐かしい!というリアクションをたくさんもらいました。拙い文章ながら、僕のブログを読んで昔のあれこれを思い出してもらえたら、すごく嬉しいですね。当事者が僕のブログを読んでなぜ盛り上がるのか?きっと飲み会で昔話をする感覚と似てるんだろうなと思います。

自分が実際に経験したきた結構レアで苦しみを伴う経験は、困難を共に乗り越えてきた仲間たちだからこそ共有できる想いがあるのだと思います。あの時は「こんなことがきつかったなぁ」とか、「でも、よく頑張ったなぁ」とかそういうやりとりは本当に盛り上がるし、団結力を強めてくれるものです。

「競技」をやっている時はとにかく結果が全て。当たり前ですが、僕たちの箱根駅伝チャレンジも予選会を突破して箱根路を走らなければ単なる美談(雑談?余談?)にしかなりません。本気で目指していなければこの文章も薄っぺらいものになっちゃいますしね。はっきり言えるのは「国立大学の学生たちが知恵を絞って本気で箱根を目指していた」ということです。ヒトもモノもカネも足りない中で工夫してあれこれやってきました。そんな人間臭い取り組みを当事者も第三者も読んで何か感じてくれたらこれほど嬉しいことはないですね。

卒業後にみんなで集まってリレーマラソンに出場しました。同窓会的なことは「飲み会やろう」と言って呼びかけるよりも「駅伝に出よう」と言って呼びかけた方が出席率がいいですw

そして少し話は飛躍しますが、その当時はいい思い出にしょうなんて微塵も思っていなかったです。必死でしたから。箱根駅伝に出るためにはどうすればいいかを考えるだけでしたが、結果的にそのことが「今」に繋がっています。学生時代に経験したことが仕事に活き、人間関係の形成につながり、自分自身の価値観形成に大きく繋がったと思っています。人間教育というと少し違うかな。ただ、自分にとって譲れない確固たる部分がガチッとできました。

よくアスリートのセカンドキャリアの問題が騒がれますが、彼ら彼女らも普通の人にはできないレアな経験をしているので、そういったものをちゃんと活用できるような仕組みを作っていけば世の中はもっとほっこりして優しく、そして面白くなれるんじゃないかなと思います。僕がもうちょっと競技力が高くて、世の中に対して影響力を持っていたらそーゆーことができるんだけどなぁ(笑)

■練習日誌

このブログを書くにあたって昔の練習日誌を引っ張り出して見返しています。その当時の幼い思いも色々と綴ってあって、それを見ていると当時のことを思い出してしんどくなりましたね。いやぁよく走ってた。若いけど、頑張っていたなぁ。いまの自分はちゃんと頑張れているかな?その当時の自分がいまの自分を見たら笑ったりしないかな?そんな自問自答を投げられそうな気がします。

ちなみに、大学に入学して最初の月の月間走行距離が400km、翌月には700km近くに伸びていました。これじゃぁ、怪我するのも無理ないですね。じっくり体を作ろうという発想は当時ありませんでした。なかったというよりも、早くチームの力にならなきゃという想いばかりが先走っていたんでしょうね。自分ではその感情は「焦り」だとは思っていませんでしたが、常に予選会まであと○○日という見えないプレッシャーに怯えていた気がします。この想いは自分だけじゃありませんでした。いや、僕なんかよりもよっぽど先輩たちの方が強かったでしょうね。

当時の基本的なメニューは

月曜日 休養(ただし、120分はJOGするように)
火曜日 つなぎのJOG
水曜日 朝に60分間走(キロ4)/16000〜20000mPR
木曜日 つなぎJOG もしくは インターバル
金曜日 休養
土曜日 30km走
日曜日 インターバル

と言った感じでした。結構走ってますね。1年生として入学して最初の3ヶ月くらいは「1年生メニュー」というものがあったので、全くこの通りにできていたわけじゃないですが、全体的に距離が短くなるだけなので、1週間の流れはほぼ一緒。よくやったもんです。やりすぎ?!ですよねぇ

■3人の大学院生

この箱根チャレンジの主役は3人の大学院生でした。

成瀬さん、(佐藤)大介さん、白岩さん

とにかく行動力があってチーム全体の士気を高めてくれる存在の成瀬さん。競技力は間違いなくNo.1、寡黙で最初は話しかけるのもためらいがあった大介さん、そして苦労人でありながら最後の箱根駅伝に向けてコツコツ努力を続ける白岩さん。みんな三者三様で個性があってすごくバランスが取れていたと思います。いま振り返っても頼り甲斐のある先輩たちでした。ホントいいチーム。

ただ、この箱根駅伝に向けた挑戦は奇抜さや目新しさがある一方で、かなり泥臭いチャレンジでした。「ヒト・カネ・モノ」をなんとか工面しようとしていたとはいえ、選手層の薄いチームであり、学生主体のチームなので、やることは山ほどあります。チームの運営のために繰り返しミーティングを行い、練習日誌をチェックするのも上級生の仕事。メニューを作ってくれて、練習を引っ張り、そして学生の本分である勉強ももちろん手を抜けないので、相当大変だっただろうと思います。

それが原因だったと思います。僕の記憶にある院生たちは常に疲れていました。そして予選会が近づくにつれて勝てないんじゃないか?このままじゃダメだろ!という不安と常に戦っていたと思います。弱音が出そうになったら「いやイケる!大丈夫!!」と言い聞かせていたんだと思います。

陸上競技は数字ではっきり評価できるものなので、良し悪しは簡単に見えてしまいます。予選会が近づけば近づくほど「現在地」と「目標地点」の差が明確になってきてしまうし、それはかなりの恐怖だったでしょうね

■テレビ取材

そんな折、日本テレビから一本の連絡が来ました。

予選会前にチーム状況を確認する電話だったんだと思います。当時4年生だったイクマさんが対応してくれたのですが、筑波大学がやろうとしている挑戦の話を伝えたところ、興味を持ってくれて密着取材が入ることになりました。

テレビカメラがチームの様子を記録していくなんて一大事。ますます緊張感が高まるかなと思いきや、俄然チームの士気が高まりました。ミーハーというわけではなく、これでもう後には引けなくなったぞという状態だったのだと思います。

退路を断つ

言うなればそういう状態でした。もうこれで学生たちのチャレンジは誰もが知る可能性のあるチャレンジになりました。不安な気持ちをそれで打ち消していたのかもしれませんね。


季節は夏が終わり、秋になりかけていました。
予選会まであと1ヶ月半。早いねぇ。。。

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