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箱根駅伝が「人」に与える影響についての私的考察〜大学生⑮〜

前回の更新から随分時間が空いてしまいました。その間に今年の予選会が行われ、僕は12年ぶりに現地まで行き応援しました。思い出の場所?まぁ、そんな懐かしい場所ではなく、むしろ苦い記憶ばかりが思い出されます。そんな昭和記念公園で後輩たちの走り見ているといろんなことを考えました。

noteで自分の半生を振り返り、思い出したことや今だから思うことは様々。ただ、今の自分が形作られているのベースは陸上競技を通した経験であり、それを言語化して残そうと思ったら、すごく時間がかかるものだなと思いました。自分は特別な人間ではないので、他人に自分の半生をさらけ出すってどうよ?って思うこともありますが、それでもやっていて良かったなと思ってます。もちろん、自分の人生は「現在進行形」なので、これからやりたいことチャレンジしたいこともたくさんあります。競技力で人を納得させられるような実績は残せませんでしたが、自分の中のモヤッとした部分をもう少し言語化していこうと思います。お付き合いください(笑)

■鐘ヶ江さんの衝撃

鐘ヶ江さんの爆走はとにかく大きな衝撃を与えました。

なんてったって初代金栗賞。金栗四三といえば、箱根駅伝の祖であり、東京高等師範の出身なので、僕にとっても鐘ヶ江さんにとっても”先輩”にあたる方です。(ちなみに、来年の大河ドラマはこの金栗四三”先輩”です)なんでも「初代」の称号は唯一無二の存在になりますね。当時、鐘ヶ江さんが取り上げられた記事を読んでいると、こんな風にコメントしていました。

「抜かして次、抜かして次という感じで、一番楽しいレースだった」

あぁ、鐘ヶ江さんらしいなと思った記事でした。決して派手に何かを語るとか、そういうことはなく、本当に素直なコメント。飾らず、カッコつけず、そんなところが鐘ヶ江さん。本当にすごいなと思いました。

天下の険に手こずったという感じはなく、むしろ楽しかったという雰囲気すら醸しているコメント。最後の箱根駅伝だからこそ・・・大学で出るという目標がかなわなかったからこそ・・・いろんな想いを背負いながらも淡々と走ってくれたのかもしれません。無欲の勝利ですね。


そんな鐘ケ江さんですら、箱根駅伝後の"時の人"扱いには相当振り回されていて、違う世界の人になっちゃったなと感じる瞬間も正直ありました。箱根駅伝後にチームはすぐ千葉県富津市で強化合宿に入りましたが、鐘ケ江さんもそこに参加。ただし、トレーニングのためというよりも、テレビの取材をうけるための参加でした。僕たちはそんなかで1.5kmの坂道インターバルを10本。山道のような急坂を1.5km登り、ペースを落として1.5km戻るという練習で息も絶え絶えになっていました。インターバル走の総距離は30km。相当負荷の高い練習でした。

みんな再スタートということで必死に合宿のメニューをこなしていましたが、そんななかで鐘ヶ江さんが涼しい顔で「じゃあ一本だけ入ってみるか」といきなり練習に参加しました。その時の印象を素直にいうと、「箱根駅伝のMVPが直々に練習をみてあげますよ!」という感じ。流石に良い感じはしなかったんですが、それを僕以上に感じていたのが、一つ上の学年の細川さんでした。

何本もインターバルをこなしてきたあとだったので、かなり脚は重かったはずなのに、急に練習に入ってきた鐘ヶ江さんに負けてたまるもんかというオーラ全開。そのあとにまだ練習が残っているにも関わらず本気で鐘ヶ江さんに抵抗し、最後の最後鐘ヶ江さんに勝っちゃいました。そして「なめんなよ」の一言。ある意味伝説です。箱根駅伝でMVPになった偉大な先輩にこんな言葉を言えるのは細川さんくらいでしょうね(苦笑)

鐘ヶ江さんはその後、大手航空会社の整備士となり一流の社会人として活躍されてます。誤解を与えないようにフォローすると、鐘ヶ江さん自身が箱根駅伝によって大きく人格が変わってしまったということはないですし、その後も鐘ヶ江さんは変わらず鐘ヶ江さんでした。走ることの第一線からは離れても謙虚で偉ぶらず、飾らないところはとても尊敬しています。

■箱根駅伝が人に与える影響

箱根駅伝はもはやとてつもないモンスターコンテンツです。それによって人生を大きく揺さぶられた選手は少なくないと思います。決してネガティブなことを書こうと思っているわけではないのですが、やはりこう書くとネガテイブな側面がフォーカスされてしまいますよね。箱根駅伝に対しての嫉妬なのか、やっかみなのかわかりません。ただ、イベントが大きくなればなるほど良し/悪し両面が出てくるのは当然のことなので、悪いことばかりに傾倒せず、できるだけ中立に思っていることをまとめたいなと思っています。僕は箱根駅伝が「人」に与える影響を次のように考えています。私的考察なので悪しからず・・・

(1)箱根駅伝はその人の人生にとって大きな出来事になる
(2)箱根駅伝を通して選手たちに様々なイメージがつくられる
(3)箱根駅伝を目指して大学に進学しながら、思うようにいかずもがき苦しんだ選手がたくさんいる

(1)箱根駅伝はその人の人生にとって大きな出来事になる

箱根駅伝の是非が毎年議論されています。箱根が日本のマラソンを弱くした!地方大会なのに箱根ばかり注目されるのはなぜ?などなど。僕は箱根駅伝が人生の大きな目標になっていいと思っていますし、それが競技のゴールであっても構わないと思っています。誰もが皆オリンピック選手になれるわけではありませんし、それを皆に強要することはできないですからね。一流になってスポーツで食べていける人間ってほんの一つまみくらい。どこかで競技の終着点を迎えるとすれば、「箱根駅伝」はとても良い目標だと思います。

僕の地元もそうでしたが、箱根駅伝に出ました!となれば英雄扱い間違いなしです。家族は本当に喜んでくれただろうし、おじいちゃん、おばあちゃんにその姿を見せられたらどんなに良かったことか・・・とすごく思ってしまいます。たらればですけどね。

僕の人生において、箱根駅伝がなければ筑波大学には進学してなかったでしょうし、成瀬さんとの出会いもなく、今の仕事にもついていません。箱根駅伝が僕の人生に大きない影響を与えたことは間違えないですし、日の目を見ることがなかった陸上人生を過ごした選手でも人生のなかでいろんな意味を見つけていると思います。

(2)箱根駅伝を通して選手たちに様々なイメージが作られる

マスコミの影響が非常に大きいですが、「箱根駅伝がその選手のイメージやキャラクターを作ってしまう」ということは昔からよく言われる箱根駅伝あるあるです。数字を取れるスポーツイベントであるがゆえに、活躍する選手には耳障りのよいキャッチコピーがつけられ、テレビのコンテンツに合わせたキャラクターにどんどん「色ぬり」されていきます。

この表現には決して悪意はありません。スポーツイベントは見る人がいてこそ成立するものなので、選手のイメージを作ると言うことはとてつもなく大切です。必死に走る選手を取材し、彼らが箱根駅伝にかけるショートドキュメンタリーを流すことで、視聴者は一気にその選手への感情移入度を高め、レースの模様に釘付けになっていきます。ある人は若い頃の自分と重ねたり、ある人は今の自分にはできないことと憧れを持ち、ある人は将来の夢をそこから描いたりと様々。箱根駅伝はコンテンツがすでに揃っていると言われますが、どうやって伝えるかはかなり重要ですし、箱根駅伝をここまで育ててきた制作側の人たちには本当に頭が下がる思いです。

僕自身も大学一年生の頃は先輩たちが取材されるのを見て、すごいなと単純に思いましたし、そんなかで僕が涙を流す姿がテレビで放送され、それがきかっけで沿道の観客に声までかけられるというエピソードは本当に貴重な経験でした。そういう諸々の思い出は過去を懐かしむという感覚とはちょっと違います。昔の自分もよく頑張ってたし、それを思えばまだまだ今の自分も頑張れるだろうという励みというものに近いかな。当時の映像は苦しくもあり、でも大切なもんだなと年をとればとるほど実感します。

しかし、その一方で箱根駅伝によって作られたイメージに苦しんだ選手も少なくなくありません。否定はしませんが、時々過剰と感じるような放送の仕方をされる場面をみると、おせっかいながら選手のことが心配になってしまいます。二十歳そこそこの若者。走ることばかりで世間からかけ離れた生活をする学生がほとんどです。そんな「選手」が箱根駅伝での爆走によって一気に世間から注目される「人」になります。本当に大丈夫でしょうか??

twitterで発言すれば瞬く間に拡散するような時代です。仮に中身がまだまだ未熟でも選手はマスコミに祭り上げられてしまい、注目を浴びます。しかも、その注目は快走によるものだけではありません。脱水症状でふらふらになりながらタスキをつないだ、途中で転倒しながらも走りきったなどなど、いわゆるお涙頂戴ストーリーに仕立てられて注目を浴びることもあります。

有名になることは決して幸せなこととは言えません。もちろん、それによってとてつもない力を発揮する人もいますが、少数派だと僕は思います。もし箱根駅伝でスターになった選手が、有名になることに耐えられる人じゃなかったとしたら、、、苦しんじゃうでしょう。幸せじゃない話です。

一応、再度確認しておくと、僕は基本的に箱根駅伝「肯定派」。できるだけ自分の思考をフラットにして物事を考えたいなと思うし、いろんな人の意見を聞いて箱根駅伝がよりよくあるためにどうすればいいのかを考えたいと思っています。何かを変える大きな力はないですが、このnoteが誰かの目に触れて誰かの思考の刺激になれば嬉しいなと思ってます。

(3)箱根駅伝を目指して大学に進学しながら、思うようにいかずもがき苦しんだ選手がたくさんいる

これもよく箱根駅伝ではエピソードとして綴られる内容です。でも、お気付きの通りテレビに映るのは氷山の一角。もっと泥臭くて、グチャっとした選手のドロップアウト話は沢山耳にしてきました。

大学1年生の時の箱根駅伝チャレンジは15位という結果でした。予選会の終了とともに、日テレの密着も終了。その後のことは世の中に伝わることはありません。テレビで見てくれた方には、「残念だったね、でもよく頑張ったね」と労ってくれるかもしれませんが、負けてポカンと心に穴が開いたように過ごす先輩を見ているといたたまれないような気持ちになりました。鬱っぽくなって一年休学した先輩もいました。

また、僕の地元から箱根駅伝を目指して関東の大学に進学した仲間が何人かいました。みんな高校生の時は石川県では名の知れた選手でしたし、大学で鍛えられれば箱根駅伝にきっと出られると思っていたもんです。蓋を開けてみればいつの間にかみんな陸上部をやめ、連絡も取れなくなり、風の噂で大学もやめたというようなことを聞きました。今頃どうしてるのかな。いつか会って当時を懐かしみながら話でもしたいもんです。


少し話が長くなってしまいましたが、なかなか言語化できないことを、一度自分の言葉で言語化してみたいと思い、書かせてもらいました。

箱根駅伝まであと2ヶ月ちょっと。選手や関係者にとっては非常に大事な時期です。箱根駅伝からまた「ヒーロー」が出るんでしょうか?静かに見守りたいと思います。

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