蓼科合宿_018

熱血コーチにみた人間教育の話〜大学生㉙〜

以前少し書きましたが、僕自身、大学生の時に3回コーチが変わっています。

コーチ不在の期間もあったので1年単位で交代していたような感覚でした。筑波大学はその性格上、「学生主体」ということが重視されました。でも、長距離パート以外はコーチが大学の先生だったり職員だったりしたので。しっかりみてもらえていて、非常に羨ましく思ったもんです。

当時の長距離チームの状況はというと、好意に頼った「コーチ」でした。行為というのは、金銭的な補償も仕事としての補償もない状態ということであり、そんな中で前のめりに指導を求めることには限界があります。箱根駅伝はそんな状況で出られるほと甘くなく、わかっていながらもその状況を何とかするには学生の取り組みだけでは不十分すぎました。

そんな中でコーチをしてくれた方々は本当に熱心な人ばかり。今の立場になれば感謝の気持ちでいっぱいです。ただ、結果につなげるためにはどんな「いい人」でも「すごい人」でもダメで、「きちんと継続して見れるかどうか」はやはりとても大事なポイントだと思います。1年でチームを変えることは相当難しく、ましてや箱根駅伝の出場を目指すとなると数年もしかしたら数十年単位での取り組みが必要になってしまう時代になってますからね。


僕にとって最も印象深いコーチはサイジョーさんでした。「熱い男」という風に紹介しておきましょう。もともとダイゴさんの補助のような形で関わってくれていたのですが、いつからかサイジョーさんがメインになり、メニューを作ってくれたり、厳しいことを言ったりしてくれるようになりました。

年齢も近く、話しやすかったので、兄貴分のような存在でみんな慕ってました。僕たちの練習を見るために引っ越し、定職に着くと練習を見れないからということでバイトを掛け持ちし、僕たちのことを本当に気にかけてくれました。でも、そんな善意に頼りすぎていました。当時は感謝の想いをちゃんと伝えられていなかったと思います。あるときサイジョーさんから急に連絡があり、しばらく練習に行けなくなったと言われました。

バイト中に吐血

サイジョーさんの優しさだたっと思いますが、ことばを少し濁しながらそっと話してくれました。もちろん過労です。いろんな意味で力不足だった自分たちを情けなく思い、それ以上引き止めたりコーチを引き続きお願いしたりすることはできませんでした。僕が三年生になってしばらくした頃には完全に学生オンリーのチームとなりましたが、それは想像をはるかにこえる大変な状況。4年生は本当に苦労したと思います。

■4年生の責任

コーチがいない状態でチームを回すとどうなるか?

簡単にいうと、チームの最終決定権がキャプテンに委ねられるようになりました。どの大会に出るか?予選会までどういったスケジュールで練習を組むか?出走メンバーはどうするか?誰を補欠に回すか?などなど、これまで気にしなかったことも気にしなくてはいけなくなります。最終決定権を持つというプレッシャーもかなり感じていたと思います。

当時キャプテンはホソカワさん。箱根駅伝でMVPをとった偉大な先輩にも暴言を吐いてしまうヤンチャなヤツです。(←敬意を込めて「ヤツ」と呼ばせてもらいました)でも、そこもまたホソカワさんの魅力だったんですよね。


そんなホソカワさんですら、チームをまとめることに疲れ果てていました。見てすぐわかるくらいの疲弊っぷり。苦労は走りにも出るので、夏の時期をピークにして、ホソカワさんはどんどん走れなくなっていきました。チームのキャプテンになると走れなくなるという皮肉な現象はうちのチームの名物でした。「名物」にしちゃダメなんですけどね。ちなみに、翌年の僕も例に漏れず・・・。情けないです。

■なんのために走るのか

陸上競技を嫌いになったとき、悩んだ時、壁にぶち当たった時・・・

どんな解決策が良いのでしょうか?答えはひとつじゃないでしょうし、もしかしたら明確な答えがそもそもないのかもしれません。ただ、答えになるかわかりませんが、「原点回帰」はとても大事なんじゃないかなと思います。

最近「脳力」についてお話しを聞く機会があったのですが、その中でなるほどなと思った一言が

「人間は記憶で生きている」

ということでした。「記憶で生きる」という表現はすぐに腑に落ちなかったのですが、聞いていくとなるほどなと理解していきました。行動の基本になるのは自分の経験。もちろん経験したことがないことにチャレンジするということもありますが、それも紐解いていけば「経験したことがないことにチャンレジすると何かが起こる」という記憶があるからです。

人間は無意識的に「快」の行動を求め「痛み」の行動を避けようとする一方、世の中には「痛み」と取られることを好き好んでやる人も大勢いますよね。マラソンはその最たるものものかな。。。ここでいう「痛み」は単なる忌み嫌うべき痛みではなく、「快につながる痛み」です。

勝ってみんなで喜んだ!苦労した先に自己ベストが出た!僕もその経験はありますし、だからこそ大人になっても走り続けられたのかなと思います。でも、当時は「箱根」にこだわりすぎていたと思います。誰も箱根駅伝を走ったことはありません。箱根駅伝に出たらこんなに嬉しいだろうなというのは想像上の「快」であり、経験した「快」とは質的に違いました。どんなに口で「出たい」と言っても、辛い練習に耐えられるだけの強いモチベーションにはもしかしたら繋がっていなかったのかもしれません。その観点があったら、きっと走ることへの取り組み方が変わっていたと思います。

青学の原監督が高校野球の指導に興味があるというビックリニュースが流れていました。

まだ決まった話ではないですが、これだけ実績を残していても、陸上競技にこだわらないのはすごいなと素直に思います。原監督がどれだけ野球に精通しているかはわかりませんし、甲子園を目指して必死にやっている高校の監督さんからすれば、もしかしたら「ふざけるな」「なめるな」と言い放ちたくなる発言かもしれません。ただ、これだけ陸上界で結果を残している人がそれにこだわらず、波風立つことを承知の上で発言しているのは、監督業を「スポーツ指導」ではなく「人間教育」と考えているからかもしれませんね。

高校生は人生経験が少ないという意味で大学生に比べれば無知です。若さであり、そこにたくさんの可能性を感じるものでもあるのですが、だからこそこの時期に強烈な「快」の記憶を形成できれば、強くて前向きな気持ちで生きる若者が育つのかもしれませんね。10年後?15年後?いつになるかわかりませんが、もしこの何気無い一言が本当になったら、陸上に生きた人間として高校野球を心から応援したいと思います。


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