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学校の先生になりたかった自分が、学校の先生をやめた話〜BACK AGING STORY②

前回のnoteで、色々振り返ろうとしましたが、最後まで書き続けると、長くなって読みにくさMAXになりそうだったので、一度仕切り直しにしました(笑)

コロナ禍でスタートさせた痛専門治療院のこれまでとこれからはこちらから↓

本文中にBACK AGINGのことが1ミリも出ていない!ということにあとで気づきました。これまでのことを振り返っているうちに、いろんな思いが募ってきて、追加追加で話が膨らんじゃったんですよね。治療院のことを書こうと思ってnoteを更新し始めたのに、本末転倒だなぁ。。。

ただ、周り道にはきっと意味があってそれがなかったら今につながっていないと思ってます。振り返れば僕の人生は回り道だらけ。普通に生きていれば違う人生があったでしょう。僕の生き方が周りの人に迷惑をかけてしまったこともたくさんあります。

言い訳するわけじゃないけど、そんな思いに苛まれる時、いつも頭をかすめるのがこのツイート。

16.7万いいねがつき、5.6万リツイートされた投稿です。すごい沁みる・・・なんて含蓄のある言葉なんだろうなぁ。。。誰もが善人や聖人なわけはないし、そうあるべき必要性もありませんそれを求めようとすると苦しくなるでしょうしね。

社会人になっていろんなことを経験してから、人からの評価に大きく一喜一憂しなくなったと思ってます。その反面、やぱっぱりどこかで自分が大事だと思う瞬間もでてくるのもやっぱり事実。そうなった時に、人を傷つけ時に取り戻せないくらい信頼を失ったりもしてます。生きているうちはそのジレンマと戦うのかもしれません

今の自分にできることは、治療家っていう立場で人と対峙し、相手の立場になって親身に悩みと向き合うことだと思ってます。偉そうなことを言いながら、そこはまだまだ未熟な自覚があって、それでも今ある最前を尽くさなきゃいけないしょうね。そんな思いを自分の心に刻みながら日々の診療に励もうというのが年男を三回経験する年齢になった男の想いです。

相変わらず、冒頭から長いのですが、、、前回の続きです。


1.思ったとおりに物事がすすまないのは人生の定石

柔道整復師になってからの1年間は教員として学校で働きながら、授業も部活動にも参加していました。

柔道整復師という立場で堂々と怪我の話ができるし、治療もしてあげられると思いきや、やっぱり資格はとっただけじゃただの飾りみたいになってしまうので、申し訳なさというか、これで本当にいいのかと自問自答することもありました。なんてめんどくさい人間なんだ(苦笑)

そんな思いを見透かしたかのように、運命を動かす出来事が起こるんでしょうね。僕が受け持つ体育の授業で一人の生徒が肘を脱臼しました。保健室に連れていき、痛がる生徒のことを思ってその場で整復(打球した関節を元に戻す)したのですが、それがマズかったようです。どんなに資格を持っていても、学校という場でそういった行為を行うことはNG。職員会議で責任問題が浮上してきて、

「何かあったら大変だからそういうことはもうしないでください」

とピシャリ。

冷静に考えると当然の判断なんですけど、生徒のためにちゃんと学ぼうって思った費やしたこの3年間は一体なんだったんだろうなと虚しくなったのを覚えています。

それをきっかけにあれもダメ、これもダメのオンパレード。部活動で顧問の先生が生徒にテーピングするっていう光景は全然珍しくないと思いますが、それすら堂々とできなくなって、こっそり内緒でやるという状況になってしまいました。

僕はぁ、そんなに悪いことしてるっけ??

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2.生徒のコトバ

僕がどんな状況になってるかはもちろん、生徒は知りません。なんだか最近、宮川さんはテーピングとかしてくれなくなったなぁ・・・とかは感づいていたかもしれないけど、詳細なんて分かりようがないので。

そんな時、ある生徒が僕のところに相談にきました。

ハンドボール部の子でしたが、部活中に手を強く地面に突いてしまって脱臼したようです。この子も肘の脱臼でしたが、僕はその場に居合わせなかったので、脱臼の事実は後から知りました。そのまま救急車で運ばれ病院で麻酔下による整復が行われました。もちろん入院もなくすぐに帰宅。しばらく固定していたのですが、固定が取れたあと自分の手の違和感に気づいたようです。痺れが残ってて、握力が戻らないという症状でした。

色々と症状をみせてもらい、本人と相談したうえで病院でも見てもらいながら、一緒にリハビリやろっかということになりました。(できるだけ穏便になるように言葉を選んだつもりですww)

お昼休みの時間に隔日でひょっこり現れて、地味な筋トレを見守ってました。もちろん、毎回ちゃんと症状の変化や本人の反応は記録してたし、こういうリハビリがいいよ!と聞けば、自分の体で負荷や難易度を試した上で、やってもらっていました。

何より偉かったのは、本人がちゃんと自宅でも僕が言ったことを守って色々やってくれたこと。良くなっていく過程で、このスタンスはとても大切だと思ってます。

そして”お昼休みのリハビリ”をしながら、他愛もないことから、真剣な進路のことまでいろんなことを話してくれました。

「怪我する前よりも楽になってます!脱臼してよかったなとさえ思います(笑)」

不謹慎ですが、この言葉はちょっと嬉しいもんです。もちろん、怪我はしない方がいい。でも、ご縁ができるってこういうことですよね。脱臼してなかったらあの時間もなかったので。


「実は怪我したことよりも救急車の中でジャージを切られたことの方がショックだったんですよね。部活の仲間で作った大切なジャージだったから」

肘の脱臼だったので、安全かつ確実に患部を出すには、ジャージを切るという選択肢は避けられない処置。でも、怪我だけじゃなくて、その人の想いに踏み入っていくと、本当は切って欲しくなかったという本心が出てくるもの。そういう想いをその子が僕に話してくれたことは、自分の成長として少しは評価していいのかなと思ってます。

ちなみに、卒業する時にその時のジャージと同じものを後輩が作ってプレゼントしてくれたみたいです。それも喜びながら僕のところに報告しに来てくれました。


「宮川さんって冗談とかいうんですね(笑)この時間が結構楽しかったしリハビリが終わるのが寂しいくらいです」

どうやら僕はキマジメマンらしい・・・(まぁ自覚もあるけど)。もう大丈夫だねって話をして、来週でおしまい!ってなったときに言われた言葉でした。


結局は生徒の声が一番です。保身に走るほどの年齢でもないし、やりたい&やった方がいいと思ったことをちゃんとやろうと思っていました。この時点で、教員を続けるという選択肢がますます現実見を帯びてたかな。


3.教員を辞めるという選択

非常勤講師を30歳まで続けているとさすがに心配されるようになってくるものです。自分の人生を大事にしなよって言われることが増えてきました。

でも、やめられないのは、常に生徒が入ってきて卒業するというサイクルが繰り返されるからこそ。この子たちが卒業するまでは見てあげたいなっていう想いが毎年更新され続けていました。

同じような想いを持ちながら、10年も20年も非常勤講師を続けている先生が結構いて、みんな熱心な先生ばかりでした。そういった意味では、とても人に恵まれていたと思います。

卒業までみてあげられずに去っちゃうのはどうなんだろう・・・と思いながらも、エイヤと腰をあげた瞬間は大きな人生の岐路でした。そのことを伝えた瞬間の生徒の顔は今でも忘れられません。

「宮川さん、やめないでください」

覚悟していた言葉だったけど、泣きながら言われると想像を遥かに超えるくらいツラい言葉です。言ってる方はもっとツラかっただろうな。。最初に伝えたのは、一番時間を共にすることが多かった陸上部の子たち。普段は絶対に涙なんて流さない子が一番泣いてました。

来年は一緒にインターハイ行こうね!って言って、毎日頑張ってました。その子にかけた「言葉」にも「想い」にもウソはないけど、結果的に想いを裏切ってしまったと思います。

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生徒たちもみんなで集まって話あってくれたようでした。でも、薄々気付いてたのかな。その年に新卒で入ってきた専任の先生が陸上競技経験者だったので、引継ぎはスムーズでした。この先生がいたからこそ、辞められれたようなものです。

僕は、最後の最後まで部活に顔を出し続けました。やめてからも、生徒の試合があるたびに応援に行きました。卒業式にも顔を出しました。僕が学校を辞めた後は、生徒たちが治療院にまできてくれてました。

結局一生の別れじゃないし、その気になればいつでも会える時代。

その当時の子たちはみんなもうすっかり大人になりました。立派になった姿を見るのは、教員にとってのご褒美ですね。


今回も書ききらんかった・・・その③につづく






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