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コロナ禍でスタートさせた腰痛専門治療院のこれまでとこれから〜BACK AGING STORY①

腰痛専門治療院をスタートさせてもう少しで5ヶ月。あっという間にこんなに時間が経ってしまいました。

振り返ってみればいろんな事がありました。僕を知っている方からすれば、なんで腰痛専門??と驚かれた方もいるだろうなと思いますが、そこにはふかーーーい事情があって、それを詳しく書き始めると長文になる事マチガイナシな感じです(苦笑)

文章が長くなる癖があるんだよなぁ。。。書き始めるとあれこれ文章を書き足したくなっちゃう性なので、お許しいただけると嬉しいです。

ご存知の通り、新型コロナウイルスの影響でいろんなものがストップしてしまいましたが、改めて今の状況を整理した上で再スタートした方がいいと思い心機一転noteを更新。ここまであった様々な過程は永遠のパイセン!成瀬さんのnoteをご覧ください↓

このnoteでは僕がこれまでにどんな経緯で今に至っているのかという”BACK AGING Story”を文章化していきたいと思います。


1. 柔道整復師というおしごと

今回のBACK AGING物語を書き綴っていく上で、どこから遡ろうかなと思っていましたが、やっぱりこの【原点】にあたる部分から遡る必要があるかな。こりゃすでに長くなる予感しかありません(苦笑)

僕が現在仕事をする上での根拠資格となっている柔道整復師。そもそも、どんなおしごとなのか分かる人が世の中にどれくらいいるでしょうか?いまだに、この資格に対する認知度は決して高くないんじゃないかなと思ってます。

柔道整復師はわかりやすくいうと接骨院で働く先生のことです。接骨院は従来「骨折、脱臼、捻挫、挫傷」といった、怪我の処置をするところであり、お医者さん以外で怪我を診ることができる医療従事者として昔からとても社会的に責任のある医療機関として地域に根差してきました。


ただし、柔道整復師が行えるのは、「医療類助行為」であって、「医療行為」とは明確に区別されます。レントゲンの撮影、投薬、観血的処置など、病院でよく行われるような検査や治療は僕たちにはできません。使うのは自分の手のみなので、まさに「手当て」ですね。

手当てを行うために特別なものが必要なわけじゃないので、災害医療の現場で応急処置を施すことを求められることもあるし、スキー場(骨折や脱臼が頻発する場所)でシーズン中だけ臨時接骨院を構える方もいます。スポーツ現場で救護を担うトレーナーとして活動している姿はイメージしやすいかもしれませんね。今の時代においては高齢者の介護予防や社会復帰のための機能訓練指導を担う活動も期待されています。

柔道整復師になって7年。まだまだ諸先輩方に比べれば未熟な年数ですが、僕はこの資格に対してとても誇りと責任を感じています。


2. もともとは学校の先生でした

今は柔道整復師として働いていますが、大学を卒業した直後の僕の仕事は「学校の先生」でした。

都内の私立高校で保健体育の非常勤講師をしていましたが、非常勤講師は専任教員と違って、年度更新のとても不安定な働き方です。授業のみを担当するので、公務分掌(こうむぶんしょう)とよばれる、事務的なことは割り振られることはありませんが、事務的なことをやらなくていいかと言えばそんなことはなく、専任教員と遜色ないくらい忙しかったです。にも関わらず、専任の先生に比べるとビックリするくらい給料は安い。初任給は恥ずかしくて言えませーん。。。(若干の愚痴ww)

ただ、その立場に不満があったかと言われるとそうではなく、未練が残っていた陸上競技を違う形で続けたかったので、むしろ自分でこの生き方を選びました。そして、学校に行かない日は、市民ランナーを対象にしたマラソンのクラブチームでコーチをやり、リラクゼーションサロンでマッサージをし、何足もわらじを履く生活に突入したのは、この頃です。

徹夜で試験の採点して、そのまま別の仕事ってこともありました。「仕事をしながら走る人たちの気持ちなんて、お前にはまだ分からないだろ」と言われて、夜中の2時から走ってみたこともあります。若かったなぁ(苦笑)

忙しく色々やったけど、どれも自分のやりたいことにちゃんとつながっていると言う思いはあったし、辛くはなかったです。ありがたいことに一生懸命やっていれば、応援してくれる人も結果もついてくるもんです。一番最初に結果につながったのはマラソン。引退直後だったこともあって、かすみがうらマラソンで優勝し北京マラソンに派遣されました。


クラブチームでのコーチ業も自分にとっては貴重な経験でした。自分が走ることと指導することは全然違うということを痛感させられ、何度も失敗して、恥ずかしい思いも悔しい思いもしてきました。

それでも社会的に成功している人生の先輩たちが僕のことを「コーチ」と呼んでくれて、その想いに答えようと必死に勉強し即実践の連続。そういったやりとりが少しずつ自分の中で経験となり、知識となり、知恵となり、今に至ってます。みなさんホント優しかった。。。指導している側の僕が一番育てられたんじゃないかと思ってます。


3.柔道整復師を目指すきっかけになった一言

そんな中でも、僕の人生を変えるきっかけになったのは生徒の一言でした。

社会人3年目。部活の指導にも慣れてきて、その頃には生徒もちゃんと僕の言葉に耳を傾けてくれてるようになってきました。ところが大事な話をしている時でも、どこか上の空で僕の話を聞く子が一人。練習も最後の大事なところで頑張りきれないしずっと気になっていました。走力はあるのに、なんでこんな態度をとっちゃうのかな。(若かった自分はこの時点で大きなミスをしていました)


このままじゃチームの士気が下がってしまうと思い、その子を呼んで二人で話をすることにしました。最初は普通に話をしていましたが、僕もだんだんと熱が入ってきて、いろんな想いをその子に伝えようとしたところ、急に声を荒げるようにして一言


「別にやる気ないわけじゃないです!だって走ると腰が痛いんですよ!!」


その子の心の声でした、、、と同時に号泣。その瞬間に僕も言葉を失っちゃいました。

良い指導者のつもりでした。子どもたちの声を聞き、その子たちのために時間も気持ちもたくさん割いてきたつもりでした。でも、独りよがりだったんでしょうね。所詮できてなかっただけの話。その後詳しく話を聞くと生まれつきの側弯が強くて、ずっと痛かったようです。

僕には言いにくかったのかもしれない。

怪我についての知識があったとしても、その子の悩みや想いを受け止めてあげられるだけの人間性が足りていなかったのかもしれない。。

所詮僕はイチ教員だし、そもそもその子にとってみれば僕は相談する相手じゃなかったのかもしれない。。。


いろんな「かも」が浮かんできました。と同時に色々と考えるきっかけにもなったし、本当に自分が関わる人たちの力になるためには、独学ではなく、ちゃんと勉強しなきゃダメだなと思って、医療系の専門学校への進学を考えはじめました。

ちなみに、その子とバチバチやりあった後は、目の色が変わったように一生懸命走ってくれました。チームを引っ張るキーパソンで、リレーもアンカーを任せました。大学の奨学金申請に関わる推薦文についても、僕に書いて欲しいといって持ってきてくれたし、大切な教え子の一人です。

雨降って地固まるってのはこのことですね。


4.ほねつぎ魂を学んだ専門学校時代

実は、正直にいうと専門学校に進学した時点では、柔道整復師とはどういうものかを本当の意味で分かっていませんでした。お恥ずかしい限り・・・というか、ダメですね。

どんな資格かということよりも何を学べるかを重視していたので、どこで何を学ぼうかを探す際にポイントになったのは以下の3つでした

・解剖学や生理学といった基礎医学系の勉強がしっかりできるところ
・テーピングなどまさにその時に必要だった技術を学べるところ
・夜間に通えて比較的授業料が安価なところ

もちろん、医師や看護師の方がもっと詳しく学ぶのですが、仕事はそのまま続けようと思っていたし、その選択肢は現実的じゃない。その当時の自分に必要な知識と技術にすっきりハマっていたのが柔道整復師でした。

まだまだ若くて無理もできた専門学校時代は、人生の中で陸上競技以外にこれほど追い込んだことがあったかというくらい追い込んだと思います。

昼間は教員として働き、放課後は部活の指導。ギリギリまで練習を見ていて、終わったらそのままダッシュで電車に飛び乗っていました。

授業に間に合う電車に乗れた!と思ってホッとして座ったらすぐに眠れちゃうくらいその時点で疲労してるのですが、そこからがある意味本番です。2コマある授業は21時まで続き、授業が終わった後は学校が閉まるまで教室や図書館に残って復習。カフェに移動してさらに延長戦に突入してました。

そのあとジムで1時間ほどトレーニングして、帰宅するのは日付が変わった頃。翌日(もはや当日)の授業準備はそこからはじまり、そのまま気付いたら泥のように眠って翌日を迎えるという生活をしていました。


そんな生活はもちろん体にとって良いはずもなく、ほどなくして円形脱毛症にもなったし、どうしても出たかった福岡国際マラソンも、レースの途中であえなく撃沈しました。相当疲れてたなぁ。そんなにマラソンは甘くなかったです。

3年間は今思えばあっという間だったような気もします。でも大変だったのは間違いなくて、無事に国家試験にも合格したときは本当に嬉しかったです。


このまま書き続けたいけど、長くなりそうなので②に続く!!



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