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2度目の予選会と4年生の意地〜大学生㉔〜

後輩たちのチャレンジが最近Numberで取り上げられていました。

当時の僕たちの注目のされ方と違っていて、着実に箱根駅伝に近づいている筑波大学!というような感じで書かれています。弘山監督も力を出し切れていないと頭を悩ませながらも、手の届かない目標ではないと年々感じているのではないでしょうか。きっといつか後輩たちが箱根路に返り咲いてくれることを祈っているし、OBとして応援したい気持ちでいっぱいです。

このnoteを書き始めてからいろんな人から連絡をもらうようになりました。大学のOBOG、直接被ってない先輩も含めて、わずかでも心が動いたといってもらえるのは嬉しいなと思うし、僕にとってそれが「#noteをやっててよかったこと」だなと思っています。僕自身は決してすごい成績、すばらしい成績を残せたわけではありません。ただ、自分が感じた大学4年間、経験した陸上人生のことを文字化して残していくことの意味がゼロじゃない限りは、赤裸々に当時のことを振り返っていってもいいかなって思ってます。

もし、このnoteを読んでくださっている人で筑波大学の挑戦に共感してくれたら、あるいは僕の過去に興味を持ってくれたら「つくば推し」してもらえたら嬉しいです。贔屓の大学があると駅伝をより楽しく見ることができますよ。

■予選会に向けて

以前、秋に化けた経験について書きました。中学校の時の振り返りですね

夏の練習にしっかり耐えることができれば実りの秋がやってくる!それは普通に練習をこなせていれば、起きてくれる現象だと僕は思ってます。まぁ、その普通が難しいんですけどね・・・そもそも、ここでいう「普通」の定義自体はっきりしないものかもしれませんが、「必要な練習を怪我なく適切にこなせた場合」だと仮に定義してください。「点」で良い練習ができてもそれが「線」として繋がらなければなかなか結果は出ません。逆にそう言った「点」が「線」としてつながれば結果は自然とついてくるものなので、いかにメニューに意味づけをして、そこから3ヶ月、半年といった中長期的な視点を併せ持ちながら目の前の練習をこなせるかが大事でした。

練習日誌を読み返していると、当時の記述が読めて結構面白いです。自分の書いた文章ながら、こんなことを考えていたんだと思うと、なんだか若くてかわいい(笑)よく頑張ってました。自分の練習日誌は将来宝物になるので、きちんと書いて、絶対にとっておくべきですね。

当時は「点」で良い練習ができてもなかなかそれが「線」で結びつかないことが多かったです。添削するなら30点くらい。たまーにきちんと「線」としてつながり結果が出てたこともありました。2年生の予選会前は数少ないそんな時期でした。

それを一番象徴的に表していた練習は5000m+3000m+2000m+1000mのレペティション。予選会の2週間前のいわゆる調整メニューでした。 5000mで15分切り、3000m、2000mは20kmのレースペースを想定して3分3秒/km、最後の1000mはフリーというのが設定タイムで、バッチリその通りに走れました。

カイトさんとソーメーさんがギスギスしていた時期に、僕自身がそれなりに走れていたのは少し皮肉な感じでした。大学二年生って良い意味でプレッシャーもなかったんでしょうね。僕にとってに2度目の予選会は静かに幕を下ろしました。

■2度目の予選会

かつて箱根駅伝の予選会は大井埠頭を使って行われていました。海が近いコースということで風の影響があったのかな?実際に走っていないのでわかりませんが、本戦に出られる学校数も限られていたので、今とはまた違った独特の緊張感が流れていたようです。

交通量の増加がきっかけとなり、予選会は立川の国営昭和記念公園に舞台を移しました。長い滑走路、立川の市街地、公園内の細かいアップダウンが続くコース。僕にとってのはじめての予選会は芦ノ湖の湖畔コースというかなり特殊な環境だったので、広い滑走路からスタートする「いつものコース」は逆に新鮮な気持ちで走れたと思います。

驚くほど落ち着いていて綺麗に刻んで5km:15分15秒、10km:30分30秒、15km:45分 45秒と絵に描いたように走れました。最後は失速して61分21秒。全体で80位。当時の10000mのベストを考えると十分な結果でしたが、僕の順位でチーム内2位だと、予選会突破は当然夢のまた夢です。

最終的な順位は18位、本戦出場ラインの9位とは26分半の大差がついているので惨敗でした。でも4年生はさすがですね。最後の最後、4年生が皆一様にチームの上位を占めていたのは4年生の意地と責任でしょう。昔からよく言われることですが、4年生がどれだけ走れているかはチーム健全度を図る一つの指標になると思います。

4年間の積み重ね、最後の予選会という気持ちの盛り上がり、最上級生としての責任。このチームで箱根に出たかったです。


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