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変わらない過去と変えられる未来の自分〜大学生⑪〜

過去と他人は変えられない
しかし、今ここから始まる未来と自分は変えられる

カナダの精神科医であり心理学者のエリック・バーンが残したことばです。ご存知ですか?どんな名言もそうですが、発言者が伝えようとした元々の意味は、人を通すことでどんどん広がっていくと思います。立場や状況によって受け止め方は様々。多くの人がその言葉を噛み砕くことで、言葉自体に深みや重みが出てきます(良くも悪くも?)。同じ言葉でも年月を経て聞くと違う発見があったりするので、時々昔の言葉を辿ってみるのも悪くないかもしれません。

成瀬さんの下で働くようになって、この言葉は毎日のように浴び続ける言葉になりました。「自分が変わる」って簡単なようで難しいことです。ただ、ここ数ヶ月の間で、それがすごく大事なことだと実感するようになりました。自分が変わることで、その周囲の人(世界)が変わる。周りの人(世界)が変わるためにはまずは自分から。7つの習慣でも有名になりましたが、「インサイドアウト」の考え方ですね。

成瀬さん自身は自分を変える努力を色々してきたんだろうなと思ってます。いや、もはや意識しないで本能でやってそうな感じもします。僕は10年以上成瀬さんを知らない期間がありますが、予選会が終わってからぽっかり心に穴が空いたような状態の成瀬さんも見ているので、どうやって今のような感じになったかいつも気になっているところ。聞けば話してくれそうですが、三日三晩話が続いてもおかしくかかるんじゃないかと思うほど、濃ーーいでしょうね。

今の成瀬さんを見ているとすごくエネルギーが溢れているあの頃の成瀬さんと重なるんですが、昔とはちょっと違う。当たり前ですね。この15年の間に成瀬さんが経験したことや苦労したことはさわり程度しか知りませんが、昔を受け入れて自分を変えようとしているなという行動はときどき目にしてきました。その一つが今年の8月に箱根に行って当時のコースを走っていることです。

改めて見るととんでもないコースです。これはやばい。

成瀬さんにとって特別な場所だったと思います。僕ですら大学卒業後も箱根駅伝からなかなか「卒業」できず、中継を見るのすら嫌だった時期がありましたから。コースを走りながらきっと色々なことを思い出したと思います。

今の自分がその当時のことを思い出すのは未練があるとか、懐かしむとか、そういうのとはちょっと違います。なんだろう、、、自分の想いに素直になってただそれに向かって邁進した青春時代。もう二度と経験できないし、苦くて悔しい経験だけど、それに「感謝」しているような感じかな。言葉にするのが難しいのですが、そのうち僕も合宿で行った土地や予選会、駅伝で走った土地にふらっと行って見たいなと思います。

随分前置きが長くなってしまいましたが、書き始めるとこういうことを頭の中でグルグル考えてしまうんでしょうね。本文に入ります(笑)

■予選会という壁

芦ノ湖で行われた予選会の難しさは3つ

1)アップダウン
2)コースの狭さ
3)ペース配分の難しさ

アップダウンは図で見てもらえばすぐに分かりますね。ジェトコースターのような上り下り、スタートは狭い駐車場、コースの途中には狭い遊歩道があるため、前の選手を抜きたいと思っても、思うように抜けない状況。そんな中ではペースも乱れ消耗の原因になってしまうことは明らかです。どの大学も非常に悩ましかったと思います。

まともに戦っていても自滅するだけのコース。筑波大学としては強い上級生3人はとにかく前でレースを進めて順位とタイムを稼ぐ!残りの9人は二つのグループに分けて集団でがっちりまとまって走り、できるだけ上位で団子になってなだれ込む作戦でした。その時の最善の作戦だったと思います。ただ、状況は極めて厳しかったです。

集団の舵取りをしてくれていたのは成瀬さんでした。どれくらいのペースが良いかわからなかったので、上級生の判断を仰ぎながら走るのが作戦。走りながら後方に位置する成瀬さんが声をかけてくれました。ただ、それも長く続かず、ぽろぽろと集団が崩れ、気がつけば一人で走っている状況。

前も後ろもわかりません。全体で今何位くらいで、それが早いのか遅いのかも分からない。混乱しながらも、ただひたすらゴールに向かいました。皆頑張っているから大丈夫!そう言い聞かせるしかなかったです。

初めての予選会はあっという間でした。レース中は余計なことを考えている余裕がなかったからかもしれません。無我夢中で駆け抜けて、ゴールすると上級生3人はすでにゴールしていました。僕はチーム内4番目。そしてふと振り返ると3人の大学院生のうちの一人、白岩さんが入ってきました。みんな思ったような順位で帰ってこれない中で、次第に現実を突きつけれら、それを受け止めていくしかない状況になってきました。

結果は15位、惨敗です。僕たちの「箱根駅伝」はここで終わりました。。

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