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ひとりでに命は延びる―家族のうた(1)

 詩人にも家族がいます。家族がいれば、父や母との思い出や人生を共に歩む伴侶との出会い、子どもや孫の誕生など、さまざまな節目が訪れます。そのたびに人は最も身近な人間関係である家族について見つめ直し、詩人はそのことを詩に書こうとするでしょう。家族のことをうたった詩は、さまざまな詩人によって数多く書かれてきました。

ここでは20世紀初頭に活躍した詩人、河井酔茗(かわい・すいめい)の詩「ゆずり葉」をご紹介します。国語の教科書にも採用された詩です。河井酔茗は1874年(明治7年)に大阪府で生まれました。戦前から戦後にかけて詩を書き、1965年(昭和40年)に亡くなっています。「ゆずり葉」は、親の世代から子どもたちに向けた明るいメッセージが込められています。まず前半部分を引用します。

「ゆずり葉」河井酔茗
子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。
子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。
かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。

 ユズリハは、Wikipediaによるとユズリハ科ユズリハ属の常緑高木。日本では本州の福島県より西、四国、九州から沖縄まで広い地域で、暖かい山地に自生しているそうです。その特徴は、春に枝先に若葉が出ると、前年に出てきた葉が場所を譲るように落葉すること。親が子を育て、家が代々続いていくことに見立てて縁起物とされ、正月の飾りや庭木に使われてきました。

 太陽がめぐる限り、すべてのものは先行世代から譲り渡される。詩は子どもたちへの語りかけで始まっています。大都会も書物も、何もかもが後続世代にゆだねられる。大人たちが日々の暮らしを支えることで懸命に築いてきた社会的な財産を、子どもたちは無条件で受け継ぐ。そして子どもたちも目の前の生活と格闘し、家族を守りながらその次の世代へ、さまざまなものを手渡す。そういった命のリレーを、ユズリハの性質に重ね合わせて描いています。そのことを後半、河井はさらに意識づけるように重ねて描いていきます。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。
今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ、
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。

 この詩が書かれたのは1932年、昭和7年のこと。世界大恐慌や満州事変のあと、日本が出口のない戦争に向かってなだれていく時期です。この年は1月に日本と中華民国が軍事衝突した第1次上海事変があり、2月には前大蔵相の井上準之助が暗殺される血盟団事件が起こります。3月には満州国が建国され、5月には五・一五事件で犬養毅首相が暗殺。8月にはドイツ総選挙でナチス党が圧勝します。きな臭い動きが次々と報道され、9年後には太平洋戦争に突入していきます。1941年(昭和16年)に改定された治安維持法によって、国体変革を取り締まる名目で多くの文化や思想が国家に弾圧されていきました。

太平洋戦争を経たのち、大人たちが次世代に残したものは何だったでしょうか。核兵器を二つも落とされ、多くの人が一瞬にして命を落とし、生き残った人々も後遺症や差別に悩まされました。空襲で都市という都市は焼け野原となり、沖縄は地上戦で地形が変わるほどの爆弾、艦砲弾を雨のように浴びせられ、多くの死者、未亡人、戦災孤児が残されました。異民族の支配下で食糧難にあえぐ、過酷な戦後を出発点にして、今の日本があります。

この詩が書かれたのはそれ以前の時代ですが、今あらためて歴史と照らし合わせると、この詩に描かれた命のリレーの尊さが際立ってきます。大人が子どもたちに時代をゆずることは免れ得ないものだからこそ、美しい時代を築き、引き継いでいかねばならない。そういう痛々しい願いのこもった詩でもあると、読める気がします。「ひとりでにいのちは延びる」とあるように、子どもたちは大人の背を見て、放っておいても後を追ってきます。ただ大人は子どもたちにバトンタッチする未来をどんなものにするか、選択することができます。その分、道を誤る危険性もあるのです。1932年以降の日本は、子どもたちに「いのちあるもの、よいもの、美しいもの」を充分に残すことができませんでした。しかし戦後、再出発した日本人は71年間、同じ過ちを犯すことなく歩んできました。今度こそこの詩に込められた願い、「いのちあるもの、よいもの、美しいもの」を子どもたちに残してあげたいものです。

河井酔茗の「ゆずり葉」は青空文庫にもあります。

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