気づけば僕らは観覧車の中に
今、ここは地元のスタバ。
実家から10分程かけて、
沖縄の暑い日差しを似合わない小さな日傘で避けながら歩いてきた。
歩いている中、
イヤホンをつけて耳に流れてきたのは、
優里の「ビリミリオン」
SNSの同じ闘病仲間から、
「おすすめだから是非聞いてほしい」
と言われて、前に聞いたのをApple Music様が覚えていてくれて流したのだろう。
このビリミリオンを聴くと、
「僕らは気づかずに観覧車の中にいる。。。」
とついつい思ってしまう。
どういうことなのか。
青春時代を共に過ごした観覧車
このnoteを書いている日に僕は、車を走らせて北谷町に向かっていた。
北谷町の観光スポットといえば、アメリカンビレッジ。
中高生時代には、休みの日はそこで過ごしていた沖縄県民は多いだろう。
シンボルはなんと言っても、この観覧車である。
青春時代を見守ってきたシンボルながら、僕はこの観覧車を一回しか乗った記憶がない。
そのシンボルは今はない。
北谷町を通るたびになんだか寂しい気持ちが込み上げてくる。
一回しか乗ったことないのにだ。
あって当たり前の存在が急に無くなればそれは寂しい気持ちになるのかな。
ビリミリオンと観覧車
ビリミリオンにこんな歌詞がある。
よく揶揄で使われる
「レールの乗った人生を歩むな」
なんて言われるけれど、
ただ起きて食って働いて、寝て起きて働く毎日だ。
って今の自分をすごく反映している気がする。
まるで、降りることをしない観覧車に乗っているみたいだ。
そう。気づけば僕は観覧車の中にいる。
沖縄に帰省している日々は観覧車に降りている状態ではあると思うが、
関東に戻るとまるで観覧車に乗っているような同じ日々、同じ景色を同じペースで過ごしてしまっている。
20代の最後の今。
とある老人が見たらなんていうだろうか。
「それでもいいから50億円で買わせてよ」
っていうのはなんとなく想像できる。
観覧車にただただ乗っている時間も、
老人からしたら50億円以上の価値があるんだろうね。
観覧車から降りた自分に価値がある
何周、何十周乗っても観覧車からの景色は変わらない。
変わり映えしない日々を送っているのは、その観覧車に乗っているからではないだろうか。
そんな観覧車を乗っている僕らを、羨ましがっている老人が多くいるだろう。
そして彼らは恐らく
「観覧車ばっか乗って飽きないかい?そんなに観覧車から降りたくないなら僕にその時間と若さを売ってくれよ」
そんなことを言う気がする。
観覧車に乗ることを批判するのではない。
観覧車に乗り続けて前に進まない、思考停止の若者がいるってことに彼らは
「年老いた自分と代わってほしい」なんて思うんだろう。
あなたがもしなりたい自分がいるのなら、
その観覧車に乗り続ければなれるのか問い続けてほしい。
若さは価値
音楽を聴きながらこのnoteを書いている。
僕の隣には若いJKがおしゃべりをしている。
彼女らにとってはこの時間がどんな時間なのか、
僕にはわからない。
でも、僕はこう思う。
「羨ましい。だから50億円でその若さと高校生活という時間を売って欲しい」
なぜ若さが欲しいのか。
ビリミリオンの歌詞には、
僕らは何にでもなれる。
若いうちこそ可能性が大きく広がっている。
そして、自分が若いのはいつか。
それは今日、今この瞬間だ。
あなたは貴重な若い今という時間を
観覧車に乗って、変わらない同じような日々を過ごすのか。
観覧車を降りて、ちょっとだけ冒険してなりたい自分になるのか。
「やりたいことはあるのに行動ができない」
という人は是非このnoteを見て欲しい。
あなたの人生を振り返った時に
・充実した人生だった
・なんだか空白を感じる人生だった
どっちを感じるか。
このnoteを読んでいるあなたには、是非前者であって欲しい。
あとがき
入院生活、僕は常々こう思っていた。
「今は治療しかできない日々だけど、退院したら
”今日1日がとても楽しかった日だった”
と思える日を過ごす」
と決めていた。
それは今日という日が誰かにとって、
生きたかった1日になっているはずだし、
入院している自分が今その1日を欲しいと思っていたから。
だから朝起きた瞬間、
今日はどういう1日にしようか考えるだけでもワクワクする。
最近は過眠症で14時間くらい寝ちゃっているけど。。苦笑
今の生活が平凡で刺激的な1日にしたいというなら、おすすめは人に会うことをおすすめする。
誰かと会っておしゃべりすることがストレス発散にもなるし、
ヒョンとしたところから人生を変えるヒントがそこには隠されていると思う。
ということで、これから中学の部活のメンバーと会ってこよう。
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