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わたしの良い子/寺地はるな

子育てしている人にもそうでない人にも、読みやすい作品だと思います。


あらすじ。出奔した妹の子供・朔(さく)と暮らすことになった椿。勉強が苦手で内にこもりがちな、決して育てやすくはない朔との生活の中で、椿は彼を無意識に他の子供と比べていることに気づく。


帯に書かれていた「どうしてちゃんとできないの?他の子と同じように」という言葉を見て、もっとシリアスな(救いようのないほどの)内容なのかと少し覚悟を持って読み始めたのですが、そこに関しては思ったほどではなく、むしろクスッと笑えるようなポイントも多々あってするすると読めました。

以下、ネタバレを含んだ感想です。





出奔とはいわゆる家出であり行方不明の状態を指します。妹の鈴菜は20歳そこそこで朔を産み、その父親とは一緒にならずひとりで育て始めるのですが、結局は逃げ出す。代わりに姉の椿が育てることになり、それは朔が2歳になったばかりの頃から小学校2年生になるまで続く。鈴菜からは必要なお金は毎月振り込まれるし、電話もかかってくるのだけど、そのうち、そのうちと言い続けて朔を迎えにくることはしない。どこで何をしているのかというと、沖縄へ移住するという恋人について行ってそこで一緒に暮らしている。


椿は、私の印象では少し凝り固まった人かなと思う。「普通は◯◯だよね」や「男は〜」「女は〜」のような、誰もが簡単に、そして特に深い考えもなく口にするような言葉にいちいち引っかかり、それはどういうこと?と自問自答を繰り返している。その気持ちは私にもよくわかります。私も「普通って何?」と思うタイプの人間だし、日常会話でなるべく使わないようにもしています。ただ、それを人にも強要してはいけない気がするし、強要めいたことをしていた(思っていた)のは学生の頃まで。社会人になってたくさんの人と出会って「普通」で安定を保っている人もいることを知ったし、そういえば母もそうだったと気づいたし。人にはそれぞれ拠り所にしている考え方があるから。だから、そこを流せない椿には本質的には共感しつつも、もうちょっとテキトーでもいいのにな〜と、ちょっとめんどくささを感じながら読みました。


ずっとそんな感じで読み進めたので、正直、ネットでレビューを読んだり本屋さんで実物を手に取ったときの「これはすごい作品なんだろうな」という期待はすかされて、物語は私の中で淡々と終わりに向かっていきました。


ところが、頁が進むにつれて、椿やこの物語自体への見方が少しずつ変わっていきました。

朔が、塾でも一緒のクラスメイトの女の子を叩いて泣かせてしまい、その理由がおじいちゃんに作ってもらった貝殻のキーホルダーを壊されて悲しかったからだと椿に泣きながら語る場面であったり、忘年会で酔った部長に「子供はつくらないのか、どうしてだ」と不躾に迫られても抵抗せず受け止めようとしていた同僚の杉尾が、間に入って助けた椿に実は不妊治療中であることを打ち明ける場面であったり、ウッと涙したくなる箇所が多くなっていく。

そして、椿が、朔が叩いた女の子の父親とバッタリ会って「朔くんは母親がいなくて不安定だろうから」と同情されたことに違和感を覚え、事の真相を突きつけズバッと言い返す場面で、前述のように感じていためんどくささに、大いなる共感が逆転勝ちしてしまったのでした。


「自分は弱い。みんなが君のように強くは生きられない」と女の子の父親が椿に言い放つのですが、私も同じようなことを言われたことがあったことを思い出しました。そこで椿の中にめぐる「傷ついたり迷ったりするのは弱い人間だけだとでも思っているのか」という思いが、まさに私の思ってきたことと同じで。そうなんです。強いとされる人間だってそれなりに傷ついているんです。弱さを表現できる人の影に隠れて、ぐっとこらえていることだってあるんです...。わかりづらいのだけれど。


そこからラストまでダーっと駆け抜けて、気づけば泣きながら書籍を閉じて終わりました。


椿は、自分が朔の本当の母親でないことをずっと気にしています。世間の目や、朔自身の目、自分が自分を見る目もその思いを強くさせています。朔との距離感もくっつきすぎず、離れすぎず、でも深い愛情を持っているのがよくわかる。そんな椿を一途に思う恋人の高雄がまた、いい男っぽくて良い。こういう気を張ったタイプの彼女に、高雄のような良くも悪くも「普通」の、すこやかな考え方をする人がそばにいてよかったな、と思います。


物語の終盤では、自由奔放に見えてとても不器用な鈴菜の、姉へのコンプレックスも明かされていき、こじれていた糸が最終的には解かれていく。同じ家で育ったふたりでも、見えていたものはまったく違っていた。大人になったからこそそれがわかる。私にもきょうだいがいるので、ここらへんもとても頷ける箇所でした。


読み終えて思うのは、とにかく朔がしあわせであってほしいということ。物語の最初のほうで椿は、朔のいわゆる「できない子」っぷりに戸惑っていたけれど、終わってみればその戸惑いはなくなっていたように見えました。比べる対象だった「できる子」にも実はそれなりの事情が潜んでいて、どっちがいいとか悪いとか、優劣なんてつけられないことに気づかされる。見えているものだけ信じていると、本当のことに気づけなくなることもあるということ。終わってみれば、期待通りの良書でした。



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