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人と違う生き方が、しんどくない時代へ。 ー映画『耳をすませば』に学ぶ、私らしいはたらき方ー

よし雫、自分の信じるとおりやってごらん。
でもな…人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。

これは、私が世界でいちばん好きな映画の、世界でいちばん好きなセリフだ。

主人公の雫が、受験勉強よりも「物語を書く」ことが今の自分にとって大切だと訴えた時、彼女の父親が言ったセリフである。

今から15年ぐらい前、就職活動をはじめて、将来コピーライターになりたいと薄っすらと考え始めた時、ずっと頭にあったのがこのセリフだった。

コピーライターという、いわゆる普通のサラリーマンとは少し違う生き方を選択することについて、覚悟を求められているような気がしたのだ。雫のやりたいことが「書く」ということだったのも、コピーライターという仕事に興味を持った自分と重なる部分があったのかもしれない。

あれから15年近く経って、私は今、コピーライターとして仕事をしている。そして、こう思うのだ。

この令和という今の時代は、人と違う生き方が、しんどくない時代になったのではないか、と。

いやむしろ、人と同じ生き方をするほうが、しんどくなったのではないか。そう思うのだ。

サラリーマンという仕事

今から30年以上前、コピーライターの糸井重里氏は、西武セゾングループの広告で、こんなコピーを書いている。

サラリーマンという仕事はありません。
「会社」説明会ではない、「仕事」説明会を行います。

東京コピーライターズクラブより引用)

就職は会社で選ぶものではなく、仕事の内容で選ぶべきだ、というメッセージをコピーにしたものだが、自分の職業を「サラリーマン」と定義していた当時のビジネスパーソンにとって、こうした考え方はとても斬新だったのだと思う。

ただ、このコピーが世に出て以降の30年間、相変わらず多くの人は、「サラリーマン」を仕事にしてきた。職務の内容ではなく、選んだ会社に「サラリーマン」としての就職し、定年まで同じ会社で働き続ける。そこで自分の職務はどうやって決まるかというと、多くの場合は会社の指示によって決まる。部署異動や転勤など、会社の言われた通りに動き、会社の言われた通りに働く。これが、今までの「人と同じ生き方」だった。

そこで課題になるのが、例えばジョブローテーションだ。営業、マーケティング、人事、経理、経営企画など、2,3年の短いスパンで会社から異動を言い渡されるため、専門性が身につかない。その結果、転職もできず、悩みを不安を抱えたまま、同じ会社で働くことになる。

鬼滅の刃の有名なセリフに、「生殺与奪の権を他人に握らせるな」というものがあるが、サラリーマンとして働くということは、自分のキャリアを会社に握られているということなのではないかと思う。

こうした「人と同じ生き方」が、だんだんしんどくなってきた。それが、今の日本で、多くのビジネスパーソンがキャリアに悩んでいる理由なのであろう。

人と違う専門性

私はコピーライターという仕事を選んだが、そのおかげで身についたものがある。それは、専門性だ。

私は仲の良い同僚とキャリアについて話をする時、こう言われることが多かった。

「naoさんは専門性があっていいですよね」

こう言われるたびに、なぜ自分は専門性を身につけるようなキャリアを歩むことができたのだろうと考えるのだが、結局結論はいつもこうだ。単純に、ラッキーだったのである。

将来専門性が身につくだろうとか、求められる人材が変わるだろうとか、そんなことは当然考えていなかった。たまたまコピーライターという仕事に興味を持って、それを職業に選んだら、なんとなく時代にフィットした、みたいなところが実感に近い。

ただ、ひとつ自分の中で大きな意思決定をしたとしたら、冒頭の「人と違う生き方を選ぶ」ということだったのだと思う。

コピーライターという仕事は、専門性が非常にわかりやすい。何かしら文章に関することで困った時、とりあえずこの人に聞けばいい、とみんなに思ってもらえる。自分と違って、この人はこういうことができる、という差分が明確なのだ。

つまり、人と違う生き方を選んだからこそ、人から求められる人間になれたのだと思う。

あの時に人と同じ生き方、つまりサラリーマンとして働くことを選んでいたとしたら、何の専門性も身につかず、将来に不安を抱えながら、私も働いていたのかもしれない。

若者たちが夢に押し潰される「ドリーム・ハラスメント」

「人と違う生き方」と聞いて最初に想起するのは、大きな夢を持ち、その実現に向かって真っすぐに生きていく、そんな映画やドラマのような生き方だろう。まさに映画『耳をすませば』でも、バイオリン職人という確固たる夢を持った天沢聖司という人物が登場する(ちなみに天沢聖司役の声優は、当時14歳だった俳優の高橋一生である)。

しかし、こうした大きな夢を持っている人は、決して多くはない。実際、私も就職活動をするまで、コピーライターになりたいなんて思ったことは一度もなく、夢というにはほど遠いものだった。当時の私には、特にやりたいことがなかったのだ。

先日、大学生に向けてキャリアについて話をする機会があったのだけど、そこでキャリアセンターの方が言っていたのは、「やりたいことがわからない」という学生が多いということだった。まさしく、当時の私と同じ状況である。

橘玲氏の著書『無理ゲー社会』において、「ドリーム・ハラスメント」という言葉が紹介されている。大学生たちが就職活動で「あなたの夢を教えてください」「10年後どうなっていたいですか」などと質問されることに対して、ある種の強迫観念のようなものを抱いているというのだ。

そしてこれは、何も学生に限った話ではない。社会人だって、多くの人が「やりたいことがわからない」「自分に向いている仕事がわからない」という悩みを持っている。にもかかわらず、「自分らしく働かなければならない」というような強迫観念を抱いているのだ。

大きな夢を持つことは難しいが、人と違う生き方が求められる。これが、現在の日本の現状なのではないかと思う。

そこで、私自身の過去を振り返ってみて、正解だったなと思うのは、自分の好きなことを職業にした点である。これだけ聞くと、非常にありきたりな話に聞こえるが、ここで非常に重要なのは、「好きなこと」の定義である。

「誰にも頼まれてないのに勝手にやっていること」が好きなこと

「好きなことで、生きていく。」というYouTubeのコピーがあるが、このコピーは、ひとつの時代をつくったコピーであると考えている。今やなりたい職業ランキングのトップの常連であるYouTuberが市民権を得ていく過程と並走するように展開されたこのキャンペーンは、自分の好きなことで生きていくことが、今の時代の自分らしい生き方である、という認知を形成し、憧れの対象となった。

ただ、「好きなことで、生きていく。」ことは生半可な気持ちでできることではなく、当然「それで本当に飯が食えるのか?」という部分が論点になることが多い。

しかし、私が本当に難しいと思っているのは、自分の好きなことをどうやって見つけるか、という部分である。好きなことで生きていくには、好きなことを見つけなければならない。この「好きなことを見つける」という行為が議論の対象になることは、意外と少ないように感じる。ふわっと決めた「好きなこと」で生きていけるほど、世の中は甘くない。自分の好きなことを明確に定義することで、初めてそれで生きていくことができるのだ。

今でこそ私は自分の好きなことが「書くこと」であると自覚し、それをコピーライターとして職業にしているが、最初からそのことに気付いていたわけではなかった。コピーライターとして数年仕事をした後、このままコピーライターを続けるのか、それとも興味のあったマーケティングや、世の中でこれからさらに求められるであろうデータ分析、プログラミングなど別の仕事をしたほうがいいのではないか、と思い悩んでいた時期があったのだ。

そんな時に、キャリアに関する本を何冊も読んでたどり着いた結論が、「自分の仕事にしたほうが良い好きなこと」とは、「誰からも頼まれていないのに勝手にやっていること」であるということだった。

好き、を具体性のない曖昧な「感情」で定義するのではなく、すでにやっている「行動」で定義したのだ。

そう考えると、私の好きなことは明白だった。今まさに、noteにこの文章を書いているように、大学生の頃から、ブログをずっと書いていたのだ。当然、そんなものを私に頼む人なんているわけもなく、ただ書くことが好きで、勝手に書いていた。その経験を思い出し、定義に当てはめることで、これこそが私の好きなことなのだ、と自分で理解したのである。そして、その時、好きを活かして働くことこそが、最も私らしい働き方であると気付いたのだ。その結果、今の私がある。

例えば映画監督になりたい人がいるとする。もし、その人が、これだけ手軽に、誰でも映像を撮ることができる時代に、ひとつも作品を撮らず、映画監督になりたい、と言っていたとしたら、それは映画を撮ることが好きなのではなく、映画監督に憧れているだけなのだ。

YouTuberも、YouTuberになりたくてなったのではなく、YouTubeに動画をアップすることが好きで、YouTuberになったのだ。

この実際に手を動かしているかどうか、というのが、自分の好きなこと、そして人と違う生き方を考える上で、とても重要なのではないかと思っている。

物語を書いた月島雫

この実際に手を動かす、という部分においても、映画『耳をすませば』は、本当に大切なことを教えてくれる。

冒頭のセリフの場面のとおり、雫は、まず自分のその手で、物語を書いてみたのだ。

とにかくまずは自分でやってみることで、それが本当に自分のやりたいことなのか、好きなことなのか、得意なことなのか、そうしたことが全部わかるのだ。

これこそが、私が映画『耳をすませば』から学ぶことができる、人とは違う、自分らしい生き方の第一歩なのではないかと思う。

人と違う生き方は、きっとしんどくない。

大学生に向けてキャリアについて話した際も、私は「好きなこととは、誰にも頼まれてないのに勝手にやってることである」という話をした。すると、ある女子学生が、私にこんな質問をしてきたのである。

「私はいろいろ調べることが好きなんですけど、どういう仕事が向いているでしょうか?」

この質問を受けて、私は本当に胸が熱くなった。私が働き始めて15年近く経ってやっと気付いたそのことに、まだ10代である学生の時点で気付いたのである。その時私が伝えたかったのは、まさにそうやって、自分の好きなことを自覚し、それをキャリアに繋げる方法だった。彼女は、いろいろなサービスを比較して、何がいちばん得なのかを調べるのが好きだと言っていた。私はそれを聞いて、彼女がきっとマーケティングに興味を持つと思ったので、マーケティングという仕事について調べてみてください、という話をした。彼女が将来、マーケティングという専門性を身につけ、マーケターという生き方を選ぶかもしれないと思うと、私は本当に感慨深い気持ちになったのだ。

彼女と同じように、就職活動をしていた当時の自分にも、こう伝えたい。
人と違う生き方は、そんなにしんどくないかもよ、と。

#私らしいはたらき方

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