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昭和の小風景 #2

酒といえば、父を思い出す。私が学生だった頃、晩御飯時はいつもガラスのコップに清酒を入れて
「水や、水」
と弁解するかのように、チビチビ飲んでいた。本当の水ならゴクゴク飲むだろうにと思いながら、ひと口ひと口味わって楽しんでいる父を見ていた。

私が京都の伏見に居を移してからは、たまに実家へ帰るときにお酒を買っていった。父は食卓の横に一升瓶を置いていて
「伏見の月桂冠や」
と言って、幸せそうに飲んでいた。そして
「酒は百薬の長や!薬は飲み過ぎたらあかん」
と言いながら、堂々と飲んでいた。

久しぶりに実家に帰ったある日、70歳を過ぎた父の姿がなかった。
「お父さんは?」
「祝い事で本家に行った」
と母が答えた。
その数時間後、父は甥達に抱えられて帰ってきた。
「叔父さんが『めでたい、めでたい祝い酒や!』と言って何杯も飲まれたので」
と甥がおぼつかない足元の父を支えて言った。母は
「迷惑をかけて悪かったなぁ」
と申し訳なさそうに父の腕を取り、甥と交代した。
そばにいた私は、もう片方の腕を肩にのせて部屋へ運んだ。
「こんなになるまで飲んで」
とウーウーとしんどそうに呻(うな)る父を見て、母は呆れながらも布団を敷きながら愚痴っていた。私の肩にはまだ父の重みの余韻が残っていた。
私はかつて父の体に触ったことがあっただろうか?

私の家は商売をしていて十数人の従業員がいる。常に威厳を保っていた父は、私にとって遠い存在だった。家族で食卓を囲むこともなく、それぞれが好きな時間にご飯を食べる。
料理を作ってくれた兄嫁たちは、配膳を終えるとさっさと自分の部屋へ行ってしまう。父母達大人は仕事で10時ごろの晩御飯なのだ。私が夕食をする時に学校の話をした経験もない。そんな環境が当たり前になっていた。

 だから二十歳ぐらいの時、同級生が父娘二人だけで肩を組んでニコニコ笑いながら歩いている姿を見て衝撃を受けた。
 今回父が酔って意識がないにせよ、片腕を支えた私には初めてのスキンシップだった。
父は長年肩肘を張って生きてきたのだろう。誰にも甘えれずに。それが仕事を長男に任せて、子供達も巣立ちやっと肩の荷を下ろしたのだ。
敷かれた布団の上で
「オレが死ぬ時は、誰が泣くかのう」
と呟いた。その時私は〈酔うた振りして、周りの反応を見てるんやろか〉と思った。
お酒の酔いがまわると、周りの者はアレコレと世話をやく。それが心地よかったのかもしれない。

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