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手塚治虫 (鉄腕アトム:海蛇島の巻)

(昭和28年8月号「少年」付録)(原題:アトム赤道をゆくの巻)

いくら私でもこの作品が掲載された時にはまだ生まれていない。
しかし、この作品は小学生の頃読んだ記憶がある。
たぶん、近所の散髪屋さんで読んだのではないかと思う。

話はそれるが、その近所の散髪屋の名前は「乙女館」。
今ではもう残っていないが、当時でさえ「古いな~」と思っていたぐらいだから、かなり古い建物だったのではないかと思う。(絶対に「戦前」の建物だろう)
私の子供の頃はその辺りはそれ程賑わってはいなかったのだが、
かつて「○○銅山」華やかなりし頃は、かなり賑わっていたと思える街道沿いにその散髪屋はあった。

当時賑わっていた頃、その理髪店の建物が建ったのではないかと私は勝手に思っているのだが真実は知らない。
とにかく、その散髪屋、入り口を入るとまず靴を脱ぐのだ!
そして、30cmほど高くなっている板張り(要するにフローリング)のスペースで順番を待つ。
順番が来ると入り口とは別の方向にある降り口?から降りて、たぶんスリッパのようなものを履いて散髪用の椅子の所まで行く・・・っていう具合だったと思う。
今時、そんな理髪店ないよね?
昔の建物って、今に比べると何となく薄暗いっていう感じで、
今、記憶に残るその散髪屋の思い出はセピア色のかなたにひっそりと沈んでいるような気がする。・・・で、その散髪屋に色々と古い漫画雑誌が置いてあったのだ。
その中の一冊にこのアトムの話があったと思う。
今では子どもでも美容院でヘアーカットをするよね。
何かこういう話をすると自分って一体いつの時代の人間なんだ~!!って思ってしまう。

さて、今回のアトム。
「海蛇島の巻」では海に流れてきた空き瓶の中に入っていた手紙を読んだアトムが夜中にこっそりと抜け出して海蛇島に行く。
そこで、拉致されて奴隷として働かされていた人々をアトムが助け出すという話。

その赤道近くにある小さな島に住んでいる原住民の姿は、当時の一般的な日本人が普通にイメージしていただろうと思える姿だ。
今こういう表現をするとおそらく「差別だ!」と言って非難されるだろう。
手塚プロダクションは<読者の皆さまへ>という文章でこう書いている。
「いくつかの場面での描写を差別と感じる読者の方々が存在するという事態は、あらゆる差別に反対し、その差別をなくしていくよう務める出版に携わる者として、真摯に受けとめる必要があります。
(中略)
この作品が描かれた当時と現在の差別に対する意識の変化を理解されることを願って止みません。」
・・・という訳で、当時のままの作品を載せている。
こういう判断をしてくれて私は嬉しい。
もし、「差別表現」のあるものは出版しない。なんてことになっていたとしたら、この作品など真っ先に出版中止になって人知れず朽ち果てていったかもしれない。

そんな事になってたら、当時の私のように
南洋の小さな島から流れてくる空き瓶に入った「助けて!」という手紙に胸をときめかせ、
南洋で繰り広げられるロマンと冒険にワクワクしながら読む子どもたちがいなくなってしまう!!

でも、今時の子どもたちは古い手塚漫画なんてあまり読む機会はないかな~?
手塚治虫の生きていた時代に生まれてきた私は本当に幸せだと思うのだ。

ま、「今の子どもたち」は、また別のものでワクワク感を得ているんだろうね。
別に「手塚漫画」でなくてもいい。「ワクワク感を得る」・・・という事が大事なのだ。
もし、子供の頃そういう楽しい空想の世界で遊ぶという経験がないとすれば、それは哀しい事だと思う。


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