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統合失調症9年生、製菓学校を卒業する。

前回のnoteから1年ほど時間が経っただろうか、私は25歳になり、持病の統合失調症は発症してから9年目を迎えようとしている。

製菓学校、厳密に言えば通信課程だけれども、そこに通った1年間は結論から言えばとても、とても充実して楽しいものだった。

そして多分私は優秀な方だったと思う。
1度だけ体調を崩して早退してしまった日以外の登校日は皆勤賞、製菓のレポートのミスはあっても再提出はゼロ、自宅でする製菓実技のレポートの全4回も全て89〜100点という高得点を獲得(60点合格)、そしてその全レポートをクラスの中で1番に提出した。
なので、実は通っていた製菓学校の通信課程の先生方の間ではちょっとした話題にも上がっていたらしい。



実はここだけの話、
私は去年の2月に通うか通わないかを見学に行ってきめた際、通信課程の事務の人からやんわりと他の製菓学校を勧められていた。
うつ病の方の受け入れはしていても統合失調症の人の受け入れは今までしてこなかった点、
そして学校の場所が自宅から100km離れているため、長期のスクーリングの際は宿泊もしなければならなかったから、が主な理由。
でも私はどうしてもそこに通いたかったし、今ではそこに通ったことはこれっぽっちも後悔してない。

教室という場所に行くのは6年ぶりだった。
というのも、私は高校2年生の時に病気を発症した故に3年次からは通信制高校でビデオ授業を受けて高卒資格を取ったから。
私の中で学校は「トラウマ製造機」と呼ぶくらい苦手な場所でスクーリングで教室に行く時はいつもドキドキしていた。
でも一緒に製菓衛生師に受かろう!と勉強するクラスメイトと支え合い、そして助けられて、実習、座学はいつだって楽しかった。

7月・8月、3月は集中的にスクーリングのコマが入っていたため計3週間ほど宿泊することになり、同じく遠方から来ていて宿泊していた製菓学校で出来た友人と一緒に授業が終わって路面電車に乗り、ホテルの最寄りの電停で降りて荷物を下ろしたら一緒にご飯を食べに行く…なんてこともした。

製菓学校に行くことはお菓子の知識がつくだけでなく、私の世界まで広げてくれた。

製菓学校の近くや駅前にあるパティスリー、製菓理論の先生が開いてた不定期のお菓子屋さんにも行ったし、街も沢山歩いた。

トゥンカロンのお店
人気のパティスリー



病気の症状が辛い時も沢山あって、ホテルで寝込んでしまった時もあったけれど、今となってはいい体験。実はホテルステイも初めてのことだった。

そして3月23日、私は無事30回のスクーリングを終えて卒業日を迎えることが出来た。

最後のチャイムが鳴った瞬間、もうここで授業を受けることも、先生方とも会えないのかなと寂しくなった。
寂しいと思いながらも疲れていたので帰ろうと思い、リュックを背負って事務室の前を通って出口へ向かった時、「みやびさん、」と誰かに声をかけられた。
振り向くとそこには2月にやんわりと他の学校を勧めてたあの先生が立っていて、
「お疲れ様でした。本当によく頑張りましたね」
と声を私にかけた。
めっちゃテノヒラクルーだなと思いながらも、私はやはり嬉しい気持ちには勝てなかった。

でも、自分が製菓学校を1年で修業できたのは先生方のフォローだったり、席の周りの友人やクラスメイトのおかげが大きくて、
それは決して独りでは成し遂げることはできなかった。

傷つけるのも人だけれども、救ってくれたのも人。

約2週間後、7月19日、私は製菓学校に通ったことで取得した製菓衛生師の受験資格を手に国試に臨む。

病歴9年目の夏、国家試験を受験する。
10年前の自分が見たらきっとびっくりするだろうなと思いつつ、自分の全力を尽くして頑張ります。

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