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namida

とめどなく瞳から
こぼれ落ちる、からだの海水。

訳もなく、気づいたら泣いてる。
たまにあるんだ。

放っておくと
ほんとに動けなくなるんだなあ。
布団から出るので精一杯。

そんな日だった。
遅刻さえできなかったのは
今までではじめて。
悔しい気持ちをおさえ、
渋々おやすみ。

思い返してみたけれど
それまでも
かなりだましだまし
だったかも。

前より、
からだにうそつけなくなった
ように感じる。

人の為になにかしたい!
そういう自分がいる。
悪いことではないはずなんだ。
ただね。
みーんな、感じ方が全く違う。

感謝されなかったり
否定されることだって、当然。
相手に否はない。
だから、
本当の意味で
認めたり、褒めたり、機嫌とれるのも
自分だけなんです。あらためて。

周りの意見を
しっかり聞くのも大事。
なのですが、

いまは
孤独を、こころの宝ものを
もっかい掬いあげる。
原点にかえるとき
なのではないかなって。

そのままにしとくと
自分が生かされてるのを忘れたり
ちいさな喜び、感動から
遠のいてくる気がする。

なみだは、
そういう"しるし"なのかな。

いつでも誰にでも、やさしくありたい。
あったかい人間でありたい。
世界の本質や
大切にしたいものをわかっていたい。
常に変化していたい。

そんな理想を思い描く度
世界や人や自然、自分について
どれだけ
興味がなくて
冷たくて
どうでもいいとおもっている
ということを
ついに、認めた。

前からわかってはいた。
自覚したのは、つい最近の話。

愕然としたくなかった。
愛のあるひとでありたかった。

偽善を
感じはじめたら!
中身のなくて、うすっぺらいやつ。
ひとの痛みもわからない。
共感しようとしない。
感動もない。
優しさなんて、かけらもない。
笑顔も、掃除も、褒め言葉や
あいさつ、目配せひとつとっても
全部ぜんぶ、
うそなんじゃないかって
思えてくる。
相手のも、自分のも。
こころの冷え切った人間。

それは、生きてるようで
まったく死に等しい。

きらめきを求めるわたしの核。
すっごく沖に流れついた。

それでもよ。
セバスチャン・サルガドの写真
親身に語りかけてくれる言葉
ちゃんと反応して
また溢れてきて、ぽろぽろぽろぽろ。
きっとまだ遅くない。

人間を知るため
愛の温度に触れるため
作品や言葉を通して
精神の旅に
出ることにしたんだ。














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