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やなかんじ、の正体

やなかんじ!
2時間もある絵の前にいた女性は
そう言い残し去っていった。
それを又聞いて、岡本太郎は
さぞよろこんだそうだ。

岡本太郎美術館は、
自転車でほんの20分ほどだった。
まず生田緑地に入る。
近くにこんなすてきな公園が
あったのかと驚く。

すすんで歩いてゆくと
水しぶきの音とともに現れる階段。
美術館の入口だった。

人は上がり、水は下りる。

だんだんと見えてくるのは
どこか奥まった、緑の茂る建物。

美術館なるものには
興味が生まれたばかりで
とりあえずは
気の向くままに
足を伸ばすことにしたばかり。

冒頭の女性の言葉。
岡本太郎の作品に対しては
はじめにみたときから
似たような感覚を
ずうっと持っていた。

原色だらけで、
うねうねしていて
とくに顔なんか
目は穴の空いて、窪んでいて
なんだか気味が悪いなあ。
といった具合。

都会に対する
はじめのイメージとも重なる。

人間が住むところじゃないよな。

本気でおもっていた偏見でしかない
あの、なんとなくいやなかんじ。

ところがどっこい。

いまは東京に住んでいる。
岡本太郎の作品も
何度も遭遇する中で
気になって仕方なくなり
ついに自ら来ている。

いやよいやよも好きのうちなのか。
嫌気が差す、とは
脈ありであることなのか。

撮影禁止ではなかったけれど、
どうも作品を撮る気にはならず。

時々、眼がカッとなる。


太郎の部屋?


赤々とした肉塊みたいな
強烈、鮮烈さ
だけだとおもっていた。

今日、垣間見たのは
ふれたらこわれそうな繊細さ
やすらぎをもとめる姿。
あらがい、苦しみ
怒りながらも
全身全霊をかけて遊んでいた
岡本太郎だった。

なんだかみてしまう。
なんか気になる。

だけど、やっぱり強い。
きっと人間や動物などを主にしている
からかもしれない。

岡本太郎の書。

遊 Taro Okamoto

書には親しみがあるからか、
絵や像にはないたのしさを感じた。
(そもそも当人は
字も絵も同じだろうと
残しているあたり、
まだまだ思い込みでものを
みているなと。)

今回はここまで。

作品と向き合うのには、
こちらもエネルギーが要る。
言わずもがな。

だから、もっと
知識とか相手とか抜きにして
まるっと
言い分を受け入れられる
感性を磨きたい。 

そのために
美術館めぐりは
続けたいとおもう。

日常の暮らしや人間活動にも
生きてくるはず。

やなかんじ、の正体は
ここちよくあってはいけない
岡本太郎の信念であって
そして
ここほれワンワン!
すすむための手がかりが
このへんにあるよ。
というサイン
なのかもしれないなあ。








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