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#15 理想と現実のギャップに苦しんだ時に考えたこと

 私は理想が高い方。
それは時によっていい方向にも悪い方向にも転んでいる。

 調子がいい時はその理想に向かって頑張ることができるが、調子が悪い時は(特にメンタル面)「なんであの人は出来ているのに私は出来ないのだろう。」「私の努力不足だ。努力出来ていない自分が情けない。」と自分を責めてしまう。

 今回”片付け”を例に、私が理想に近づけない自分を責めていたのが、自分の状況に気づくとその理想に固執しなくなったという話。


”すっきり片付いた部屋にしたい”という理想


例えば”片付け”に関して。
元々暮らしアカウントが好きで、インスタなどでフォローしている数も多い。それで片付いた家やすっきりした家を見るのが好き。

 今思えば、それぞれ得意なことや苦手なことも違うし家族構成も違うし家屋環境も違うから、自分と一線を引いてエンターテインメントとして見れたらいいんだけど、
家族構成を似た人を見つけてこの人は出来ているのに…と自己嫌悪に陥ったり、自分の家の現実を見てテンションが下がったりしていた。

 それでいて理想が高いから、散らかりすぎた部屋を見てどこから手をつけたらいいかわからないし片づける気がなえてしまい、今に至る…という感じ。

モデルルームのような部屋が理想だった 

”私”の現実

 物が多いのが悪い、片づけられない自分はダメだと自己嫌悪だったけど、よくよく考えると小学生~乳児の3人の子供がいて、それぞれの年齢で必要なものや使ってる物も多いし、自分はそこまで片付けに時間をかけたいわけではないなと気づいた。 
 まさにSNSに翻弄されていて他人軸。ここ数年自分軸を意識しているのに、自分が他人軸に翻弄されていることに気づいてなかった。

 そもそも”すっきり片付いた家”とは?
モデルルームみたいな?
・床とテーブル上に物がない状態?
・床に物がない状態?

 ”片付いた家”には色々な段階があることに気づいた。
そのいろいろな段階に自分軸を合わせると、まずは床の物を拾おう、次はテーブルをすっきりさせよう、とスモールステップで考えられるようになった。
 そしてどこから手をつけたらいいかわからなくて結局行動していなかったのが、「まずはリビング部分の床だけ片づけよう」とスモールステップを意識して少しずつ行動できるようになった。

まとめ
 

理想が高すぎる場合、それに至るまでの目標を細かく考えると行動にうつしやすい。
(床だけ、床と食卓、さらに物置になっているカウンターなど)

 また、”理想=自分のやりたいこと”になっている場合、出来ていない自分に目が行きがちになってしまう。
でも、その理想に向かって
時間をかけたいか
手間をかけたいか
お金をかけたいか
という視点で考え直してみると、理想の中にでも厳選された本当にやりたいことが見つかるかもしれない。


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