沖縄で暮らす。Uターン移住から見えた「うるま市」の生活は、喧騒から離れた島の原風景が残る豊かさだった
昨日、沖縄が梅雨入りした。夜中から朝にかけて雨が降り続けて、たまに豪雨に変身したりと忙しい空模様だ。窓を開け放しておくと、室内が湿気に包まれて「いや、まだ早いだろう」と思いながらクーラーのリモコンに手が伸びそうになる。
5月の目標に『コロナ太り解消』を掲げている私は、室内で汗を書きながら新陳代謝を高めてパソコンを打つくらいがちょうどいい。熱中症やデジタル機器に支障が出ないうちは、もう少しだけクーラーを我慢しようと思う。
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沖縄出身のウチナンチューたちと沖縄移住したナイチャーたちが、2019年に「沖縄で暮らすこと」を題材に記事を執筆しました。
ビフォーコロナの沖縄で暮らす記憶。改めて「暮らしのあり方」を考え直すヒントになったら幸いです。楽しく読める暮らしのエッセイに新たな編集を加えて、noteでお届けします。
Produced by OKINAWA GRIT
[1点だけ補足]この記事は、2019年8月に公開ものです。
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沖縄にUターンして、早2年が過ぎました。僕の地元は、沖縄本島中部に位置する観光で訪れる人は少ない「うるま市」という街です。小学校4年生の時に沖縄市からうるま市へと引っ越して、東京の服飾専門学校への進学をキッカケに上京する20歳までの10年間をうるま市で過ごしました。
服飾専門学校を卒業後、僕がUターンを決意したのは、沖縄で服屋さんを営む母親と一緒に働きながら、自分のお店をオープンさせる準備のためです。
そこから2年が経過し、紆余曲折を経て現在は、ライターとしての活動をスタートさせ、ファッションクリエイターとウェブライターの2足のわらじで活動している久貝将太です。
今記事では、僕がうるま市にUターンして見えてきた、沖縄生活のリアルを紹介していきます。
<WRITER / 久貝将太>
リゾート地・沖縄で、あまり観光客が訪れないディープな「うるま市」
「うるま市」がどこにあるのかをご存知でしょうか。
うるま市は、2005年に4つの市町村が合併してできた街。
そのために敷地面積が87.01平方キロメートルと、広大な面積を誇ります。合併した時期は、僕がうるま市に住み始めたばかりの出来事で、うるま市の市町村旗のデザイン公募に応募した記憶があります。
2018年(平成30年)の沖縄県の観光客数は、大台の1000万人越え目前でした(補足:あとから修正され、1000万人を達成していた)。しかし、うるま市で暮らしていると観光客を見かける機会は少なく、うるま市の観光産業があまり観光客には認知されていない印象を受けます。
事実、観光客のリピート率の低さを、うるま市は課題にあげているのです。
そんなうるま市ですが、意外にも世界遺産の「勝連城跡」や海上の橋を車で走行できる「海中道路」といった観光スポットが充実し、過疎化が進む市町村が多い一方で、昔ながらの沖縄らしい風景が多く残っているのも、うるま市の魅力の1つです。
観光客数に伸び悩む理由もあいまって未開拓の土地が多いものの、古き良き沖縄の原風景が残っている点においては、のどかで暮らしやすい場所だといえます。
沖縄の原風景や大自然がそのまま残る離島へ、車で行ける海中道路
うるま市に位置する離島は、平安座島(へんざじま)、宮城島、伊計島、浜比嘉島、津堅島の5つがあり、1972年(昭和47年)の海中道路の開通によって、津堅島以外の離島は、車での行き来が可能になりました。
うるま市は未開拓な土地が多く、特に離島は橋が開通しているのにも関わらずリゾート開発もなく、昔ながらの町並みが現存する集落が多いです。古き良き沖縄の風景を実際に目にできるのが、うるま市なのです。
1. 伝統的な建物や風習が残る島の生活
先日、伊計島ハーリー大会(2019年7月7日)に参加する機会があり、久しぶりに海中道路を渡って、うるま市の離島「伊計島」に足を運びました。
橋が開通する前は多くの人が住んでいた伊計島。沖縄県の発展とともに人口は減少していき、今では人口253名(2019年7月31日現在)の小さな集落になり、小・中学校は廃校になりました。
ハーリー大会の会場となったのは、伊計島の「イトゥクマ浜」。
その周辺には、現在も島で生活をする住人もいて、島の漁師さんたちが大会当日のスタッフとして参加していました。
島のあちこちで見かける一軒家は、昔ながらの赤瓦をあしらった平屋が多く、島に唯一ある伊計島共同売店は、伊計島の住人たちのライフライン機能を果たしています。
2. 子宝に恵まれると言い伝えられる「シルミチュー霊場」
沖縄がまだ琉球王国だった頃、琉球の人々が繁栄するキッカケになったと云われている伝説があり、それは、ある男女2人の神さまが島に降り立ち、琉球王国に人が増えていったとされる「開闢神話(かいびゃくしんわ)」です。
浜比嘉島の南に位置する「シルミチュー霊場」は、男女の神さま2人が移住先に選んだ場所として言い伝えられており、ここを参拝すると子宝に恵まれるというパワースポットになっています。
このような場所は、観光スポットやパワースポットとして捉えられがちですが、地元の人たちは、昔からの言い伝えを信じ、懐妊祈願の場として、今も浜比嘉島の素敵な文化として、地域の人にも根付いています。
僕のオバーもこのような神行事を大切にする考えがあり、不吉な出来事が起こった時や祝いごとの節目には家族全員で参拝しに行くことも珍しくありません。
3. ドライブやウォーキングがオススメな海中道路
夜になると、海中道路の街灯が色とりどりにライトアップされ、橋の周りはまさに真っ暗闇になります。暗闇でライトアップされた海中道路は、かなりロマンチック。夜のドライブにオススメな場所の1つです。
島を一周ドライブして帰る人もいるようですが、僕がオススメしたいのは、太陽が沈み始める時間帯に夕日を見ながらウォーキングをすることです。
徐々に暗くなると同時に、一面の海に大きな夕日が沈んでいきます。ウォーキングをしながら横目に、海と夕日のグラデーションが変化するさまを眺められる海中道路は格別です。
頭や心がモヤモヤした時は、海中道路の「道の駅 あやはし館」に車を止めて、夕日を見ながら散歩することで、贅沢なリフレッシュになります。
昔の沖縄の暮らしが、街のあちらこちらに残る「沖縄の田舎」
うるま市は、観光産業で大きな発展はみられないものの、生活環境は年々良くなっています。便利で賑やかな街に移り住む人もいますが、静かでどこか居心地のいいうるま市に、長く住み続ける人が多いのも事実です。
1. 普段の買い物には困らない「沖縄のベットタウン」
観光客で賑わう他の市町村ほどの賑やかさはありませんが、買い物事情に関しては、何の不便もなく充実している印象を受けます。
僕の住む、うるま市具志川という地区は、徒歩圏内にショッピングモールやスーパーマーケットがないのですが、「みどり町」まで車で移動すれば10分圏内にスーパーマーケットが3カ所あり、スーパー周辺には百均やファミレス、スポーツジムやカラオケなどの商業施設が密集しており、不便なく過ごせます。
また、15分ほど車を走らせれば大型ショッピングモールが2カ所あり、程よく静かな「沖縄のベットタウン」と呼ぶにふさわしい便利な環境です。
2. 人混みの真逆、「何もない」に癒される!昔ながらの商店が今も残る「与勝半島」
うるま市の北部に位置する「みどり町」周辺は、商業施設が充実していることから、不便なく買い物ができる「沖縄のベットタウン」と表現しましたが、過疎化が進む与勝半島に関しては例外です。
うるま市誕生の際に、財政赤字を抱えていた与勝半島は、うるま市になってからも人口減少がどんどん進み、現在では、街のライフラインを担っていたスーパーも店をたたみ、買い物をするにも不便な街になってしましました。
しかし、沖縄近代の栄えた街の面影が今もそのまま残り、一つの文化遺産的側面もみられる街なだけに、大型スーパーやコンビニが出店しない代わりに、昔ながらの商店が今もなお残っています。
街の住人は、近所の住人たちをほとんど把握しており、今もなお「お隣さん」文化が健在です。
与勝半島の入り口を海中道路向けに下っていくと、瓦屋根の古民家が立ち並ぶ集落が残っていて、屋敷の玄関には、今ではあまり見る機会がなくなった、玄関の目隠しや魔除けの目的を果たした「ヒンプン」が残る地区があります。
今もなお住人たちは、昔と変わらず自然と共存した沖縄文化が多く残る集落で生活をして、夜は街灯が少なく静かで暮らしやすい場所です。
3. 田舎が故に、車が必須に!素晴らしい絶景が何気ない毎日の一部に
与勝半島をのぞけば、買い物に便利な場所が多いとお伝えしましたが、それは、車があることが前提の話。つまり、うるま市に住むなら車を所有するのは必須です。
沖縄の都心・那覇市の周辺は、バスやモノレールが発達しているため、車がなくても不便さを感じにくいです。うるま市に住むとなると、行動範囲が徒歩では、どうしても限界を感じます。
うるま市の魅力の1つに「何もない」ことがよく挙げられます。一部の地域に商業施設が密集するとは裏腹に、あちこちに原風景が残り、厳密に言うと「ちょうどいい沖縄の田舎」という表現がピッタリです。
車があれば便利な場所であると同時に、商業施設で賑わう街の先には、マイナスイオン溢れる、生い茂る緑の樹木や海が見える絶景に変わります。
4. 電車のありがたみに気づく、沖縄県内での「お酒」という移動制限ドリンク
酒好きが多いイメージの沖縄。車必須のうるま市では、気軽に外出してお酒を飲めません。東京で生活していた頃は、電車があったおかげで居酒屋でお酒を飲んでも移動がスムーズ。気にするのは、終電の時刻だけでした。
しかし、車必須のうるま市では、「向かうのも車、帰るのも車」です。居酒屋でお酒を飲む際は、運転代行を呼んで帰宅することが多く、お酒を飲む機会があると同時に「車どうしよう?」という考えが常によぎります。
移動手段の制限もあって、うるま市内で外食してお酒を飲む場合は、1軒目から徒歩圏内に2次会用の2軒目の居酒屋があることも考慮して、お店を探したりします。
車社会の暮らしを強いられる分、不思議な知恵がついてきました。
5. フリーランスが仕事をしやすいカフェやコワーキングがほとんどない
フリーランスの僕が、うるま市で活動するにあたって1番不便に感じるのは、パソコンで作業ができる電源カフェやワーキングスペースが少ないことです。
電源やネット環境が整ったマクドナルドで作業をする場合、Wi-Fi利用可能時間が制限されるため、電源があっても長時間の作業には適していません。僕の知る限りでは、うるま市内にはコワーキングスペースはゼロ。ネットで検索しても1店舗もヒットしないのです。
そんな僕が、自宅以外の作業場として利用しているのは、うるま市が運営する「生涯学習・文化振興センターゆらてく」。クーラー完備、Wi-Fiも使えて、場所によっては電源も利用可能。無料で利用できる最高の施設です。
また、無料で利用できる自習室は、受験やテストの勉強に熱心な学生さんや資格取得に励む大人たちもいます。
僕にとっての居心地のいい空間は、学生さんにとっても居心地のいい場所なのか、時間帯にもよっては学生の利用者が多くて静かな場所とは言い難い側面もあります。
また、長時間作業をするにはWi-Fiのネット環境が不安定な時もあるので、その点を留意してご利用ください。
自然の中で暮らす意味を考えるキッカケになったUターン移住
東京での暮らしは、娯楽やモノに溢れ、毎日をそれなりに楽しく生活できたと同時に、窮屈さを感じる場面もありました。
沖縄にUターンした当時は、東京と比較して「何もない」ことを悲観的に感じる時もあり、娯楽を求めて東京に旅行したりもしました。しかし、うるま市での暮らしを改めて考えてみると、小さな幸せに気づけるようになった自分がいました。
ストレスなく車で移動できること。無料で利用できる施設があること。自然の緑が生活の中に当たり前にあること。そして、車を10分走らせれば夕日を見れること。
どれも、東京や都心だと当たり前ではありません。リゾート施設のように大々的にオススメできる場所は少なくても、うるま市の当たり前の日常が素敵だと思うんです。
県外の友達に、僕の毎日の風景をみせると、「めっちゃ田舎じゃん!」と笑われますが、実際にうるま市に訪れてその環境に触れると、「何もないのがいいね」と友達が口を揃えて言ってくれます。
うるま市という街が、当たり前の日常に幸せを感じさせてくれる素敵な場所だと、沖縄へUターンをして改めて感じました。
今では、うるま市での暮らしに心地良さと誇りを持っている自分がいます。山奥の大自然に暮らしの基盤を置くのも素敵ですが、「ちょうどいい田舎」で海と触れ合う、うるま市で暮らしてみるのもいいですよ。
施設名に、公式サイトや私が執筆した記事、または観光系メディアの記事をリンクしました。気になるスポットがあればご覧ください。
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