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咲き初め ―花あかりの夢より―

小さな緑地の隅に桜の木が1本立っている。


商業施設の一部として整備されたこの場所は繁華街とその最寄り駅の間にあり、この場所を通り抜けることでそれぞれへの距離を大幅に短縮できる。


そのため足早に通り過ぎてしまう人が多いが、買い物客の休憩場所としてか、都心には多くない緑を楽しめるようにという配慮か、決して広くはない敷地にいくつかベンチも設置されており、その一つはこの緑地の目玉として植えられた桜の木の下に置かれていた。


仕事帰りの佳織が置き去りにされた1冊の本を見つけたのもそのベンチの上だった。


「花あかりの夢」というタイトルのその本は、表紙にタイトルと桜の絵だけが印刷されており、作者名も出版社名も書かれていない。


その奇妙な本に興味が湧いて、ベンチに腰かけてページをパラパラとめくってみるとそれはどうやら桜と恋の物語の短編がいくつか綴られているようだった。


試しにと1話を夢中になって読み終えたところでふと顔を上げると、会社を出る頃にはまだ明るさのあった空もすっかり暗くなってしまっていて、あちこでライトが灯っている。


早く帰らねばと本を元の場所に戻したところでベンチに桜の花片が落ちているのに気が付いた。


真後ろの桜を見上げても明るく照らされた枝に開いた花を見つけられなかったが、蕾ははちきれそうに膨らんでいる。


佳織は花片を拾い上げて大事にしまうと、すぐそこに春は来ているようだと少し早い春の訪いに微笑んで駅に向かって歩き出した。


今日はこの花片を栞代わりに、久しぶりに読書をして眠ろう。





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目の前を若い男女が手を繋いで歩いている。


やっと日中の日差しが暖かくなった季節には少し薄着のように見えるものの、どちらも精一杯お洒落をしてきたであろうことがわかる服装が微笑ましい。


この近くの高校の生徒だろうか。


ときどき顔を寄せ合って笑う彼らが幸せいっぱいであることは後ろ姿からだけでも伝わってきた。


仲睦まじくコーヒーチェーン店に入って行く彼らの背中を見送ってため息をつく。


「青春だよ。いいなあ羨ましいなあ。こちとらなんの洒落っ気もないスーツに重たい資料抱えて営業。しかも3件連続お断りの返事もらってさ。いいことないわ」


営業先に同行した後輩が呆れた声で言う。


「そんなに恨めしそうに若者を見ないでくださいよ。先輩にもあんな青春の一つや二つや三つや四つくらいあったでしょ」


「五つや六つどころか一つもなかったわ。あんた、学生時代に私がモテなかったの知ってるでしょ。・・・・・・まあ、あなたの方はよくおモテになられてましたけどね」


隣を軽く睨みつけてみるけれど、後輩は澄ました顔で気にした風もない。


「確かに俺はモテましたね」


「ちょっとは謙遜してください?腹が立ちます」


本当のことですからと言うこの男との付き合いも随分長くなった。


中学校、高校から大学、果ては就職先までずっと一緒の腐れ縁で、同じ高校に受かったと聞いたときには喜び、大学のキャンパスでばったり出会ったときには二度見、会社の廊下で顔を合わせたときには不法侵入かと他の社員から隠すようにあまり使われていない会議室に引きずり込んだのも懐かしい思い出だ。


知り合ってからこの方、噂によるとランドセルを背負う前から老若男女に人気があるこの後輩と、教室の片隅で同性の友人と他愛もない会話を楽しむような可もなく不可もなくの私がなぜ仲良くなれたのかは今でも謎で、学年も性別も異なり、共通項の欠片も見当たらないはずの私たちが話すようになったきっかけももう思い出せない。


ただ、良くも悪くも目立つ彼と仲良くなったことで同年代の女子からのやっかみを私は一身に受けることになったし、この綺麗な顔が近くにいたことが私の恋愛にだいぶ不利に働いたのではないかと割と本気で思っている。


それでも、気の合う彼と過ごす時間が心地よかったから、なんだかんだとかれこれ十数年も友人でいるわけなのだけれど。


でもやっぱり何の努力もしてなさそうなのに肌荒れすらしなさそうなのはムカつくわと理不尽なことを思っていると、やっと後輩の顔がこちらを向く。


「まあ、俺のことはさておいて。実際、先輩はモテてましたよ」


「いや、告白されたこともないし、告白してもOKされたこともないし、男の子といい感じになってどこかに出かけたりとかもなかったよ?」


軽口を叩き合っているうちにいつの間にか昨日本を見つけた緑地まで帰って来ていた。


桜の方にちらりと視線を向けると、残念ながら本はなくなっていたけれど、蕾だけだった木には一つ花が開いている。


嬉しくなって写真を撮ろうとスマホを構えたが、後輩の発言にシャッターは押せなかった。


「そりゃ、俺が牽制してましたからね。遠慮してくれてたのもあると思いますけど。俺が先輩のこと好きなの学校中が知ってましたし」


桜に向けていた意識と視線を後輩に戻し、吐息を吐き出すと口からはだいぶ気が抜けた声が出た。


「・・・・・・は?」


「知らなかったの先輩くらいじゃないですか」


「・・・・・・」


「俺は今も好きですよ、佳織先輩のこと」


「・・・・・・」


ちなみに高校と大学と職場が一緒なのは偶然じゃないですと続ける後輩に照れはないが、冗談を言っている顔でもない。


「自分でも重いなって自覚はあるんですけど、ここまで来たら諦めるのも無理なんで覚悟してくださいね」


手から滑り落ちたスマホが地面と衝突して大きな音を立てる。


微動だにしない私の代わりに拾い上げたスマホを手渡しながらこちらの顔を覗き込む後輩の顔に浮かんだ笑みは悪戯でいて柔らかく、優しい。


落ち着くまで時間かかりそうなんで先に会社帰っときますねとさらり言って立ち去るスーツを呆然と見送った後、ようやく動けるようになった私はずるりとベンチに座り込む。


じわじわと顔に熱を持っていく私を咲き初めの桜が見守っていた。








こちらは、ミムコさまの妄想レビューをお借りして書いたものです。


桜もそろそろ散り終わる頃にやっと書き終わって出す、なんともタイミングの悪いことですが、こちらいくつかお話が入っている本とのことなのであともう少し、お付き合いいただけたらなと思っています。



あと、レビューをお借りした割になんかちょっとずれてるような気がするところと、がっと書いてががっと出しちゃったことには目をつむってください。
すみません。

でも楽しかった!