「台風15号」我々は大災害を超えていける~日本講演新聞

『日本講演新聞』は全国の講演会を取材した中から、
感動した~!おもしろかった~!為になった~!という心が揺るがされた話だけを掲載している全国紙です。
読んでくれた方の人生がより豊かなものになることを願って創り続け、もうじき30周年を迎えます。

今回は東日本大震災直後の社説をご紹介いたします。
たび重なる自然災害…先日の台風15号は多大な被害を及ぼし、普及にはまだまだ時間がかかりそうです。
被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。
この記事が少しでも希望になりますように。

ー我々は大災害を超えていけるー

 「壊滅の街 眼前の悪夢」

 「事故の連鎖底なし」

 「放射線 不安な住民」

 かつて見たこともない大きな見出しで未曾有の大災害の事態を伝える新聞各紙。

 不安、絶望、恐怖、寒さ、無力感、悲嘆に明け暮れる被災現場。事実は事実である。

 そんなとき、ネット上に流れた1枚の写真に胸が熱くなった。自衛隊員が抱える赤ちゃんの写真。地震から3日が経っていたのに生後4ヵ月の赤ちゃんは瓦礫の中で泣き声を上げて自分の居場所を知らせていたそうだ。

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 アメリカ軍は、被災地救援作戦に粋な名前を付けた。「Operation Tomodachi=友だち作戦」だ。米軍というと、国内ではあまりいいイメージはないが、自衛隊と共に懸命に活動するアメリカ軍兵士の姿に頭が下がる。

 東京に住む友人のしもやんこと、下川浩二さんからメールが届いた。誰かが見かけた光景をメールやツイッターで発信したものをまとめたもの。どんな新聞・テレビより元気をくれた情報だった。

 「ディズニーランドでは、ショップのお菓子などが配給された。その時、ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて、一瞬、『何だ!』と思った。けど、その女の子たちが避難所の子どもたちにお菓子を配っていたところを見て感動した。子ども連れは動けない状況だったから、本当にありがたいと思った」

 「一回の青信号で一台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い、穏やかに運転している。…10時間の間、お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった」

 「夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパンを配給していた。こんな喧騒の中でも自分にできることを見つけて実践している人に感動し、心が温まった。東京も捨てたもんじゃないな」

 「韓国の友達からのメールです。『世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風が来る。地震だってくる。津波も来る。小さい島国だけど、それでも、そのたび、立ちあがってきたのが日本なんじゃないの!頑張れ!超頑張れ!』。ちなみに僕はいま泣いている」

 「4時間の道のりを歩いて帰るときに、『トイレのご利用どうぞ!』と書いたスケッチブックを持って自宅のお手洗いを開放してた女性がいた。日本って、やっぱり世界一温かい国だよね。あれ見たときは感動して泣けてきた」

 「避難所で、4人家族なのに『分け合って食べます』と3つしかおにぎりをもらわない人を見た。凍えるほど寒いのに、毛布を譲り合う人を見た。きちんと一列に並んで、順番を守って物資を受け取る姿に、日本人の誇りを見た」

 「ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、『大丈夫?無理しないで』とメールしたら、『自衛隊なめんなよ!今無理しないでいつ無理するんだ?』と返事が」

 「停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。勝手に復旧してるわけじゃない。俺らが室内でマダカナ~とか言ってる間、くそ寒い中、死ぬ気で頑張ってる人がいるんだ!」

 「父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、涙が出そうになりました。『今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持っていく』と。家では頼りなく感じる父ですが、私は今日程誇りに思ったことはありません」

 「避難所で、おじいさんが『これからどうなるんだろう?』と漏らした時、隣にいた高校生の男の子が『大丈夫!大人になったら僕らが絶対に元に戻しますから!』って背中をさすりながら言ってた。大丈夫!未来はある!」

 みんな気持ちは同じだ。我々はきっと大災害を超えていける。そしてこの国はもっといい国になる。
           (魂の編集長 水谷もりひと 2011/03/21号より)


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