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シュペーア回想録〈上〉-ナチスの体質はカースト制-



ナチスの体質

 末端の党員たちは、政治というものは末端であれこれいえるほど簡単ではないのだと教育されていた。だからいつも責任は他人にあると感じていて、進んで自分の責任とする態度がまったくなかった

ナチズムの構造全体が、良心の問題を棚上げするようにできていたのだ。そういうことになったのは、同じ考えを持っている同士がいくら議論してもまったく不毛だからである。お仕着せの意見を言い合うのはつまらないことである。

 もっといけないのは、責任をそれぞれの縄張り内だけに限定することを要求したことである。だれもが自分のグループ、たとえば建築家、医師、法律家、技師、兵士あるいは農民といったグループの中だけで働いていた。各人が強制的に加入させられる職業別組織を会議所(医師会議所、芸術会議所)と呼んだが、この呼称はいみじくも壁で仕切られたそれぞれのタコ壺へ閉じこめることをさしていた。

ヒトラーのシステムが続けば続くほど、考え方もますますそのようなタコ壺の中をうろつくだけだった。もしもこのような飼育が数世代にわたったならば、それだけでもシステムは枯死したろう。なぜならそのシステムは一種の「カースト制」になってしまっているからである。

P66

 サイテーである。

 このシステム内部にいる個人は責任もなく、葛藤さえ負わずに済む。ここでは該当しません、存じませんと言われ、たらい回しにされる被害者、そして泣き寝入り。泣き寝入りも受け付ける余地なしだ。部位ごとに機関が変わる産業に似てる。専門性における部門や分野の問題点である。

 シュペーアは獄中で、そんな「システム」に言及していた。テッセノウ教授の理論と相反する、自身が身を置いたナチズムを対自しているのだろう。

えーっと、現在はまさにそれですけど、
シュペーアさん。

なるほど、ナチズムの構造は現在の社会組織に汎く活かされている。来世に貢献しているではないか。

 私の思うところ、カースト最高位の元締めの意志が強ければ強いほど、下位それぞれの島のカースト強度も確固たるものになっている。

これは団結しているのか否か、どちらなのか悩むところである。

 「システムは枯死しただろう」と書かれているが、システム自体は円滑だが、人間性が枯死している。それが今の世に蔓延る、法による支配の末期。末期、是非、末期としたい。

国が定める法律ではない、見えない法の存在も厄介だ。秩序という法がある故に余計に乱される秩序。そしてまた法が増えてゆくという循環。

 既に人は個に戻りつつあるが、いざ社会のシステムに組み込まれようとするならば、基本的に「カースト制」であることを覚悟しなければならない。

次第にそれも緩和されていくように思う。
上記のようなカースト、学歴や年功序列的支配力による組織形成ではなく、人格と技術力による、自由と個性を重視した組織形成が次世代に到来しているのが窺える。


 カースト制だけではない。科学技術、宇宙開発、黒魔術技術、等々、、。ヒトラーの予言通り、今の世はナチズムである。という、↓こちらもなかなか面白いですが、関連付けしすぎてやしませんか。こういった他方からの手記が、そこに絡まり続ける原因でもある。


↑試行し続け、秩序なき矛盾を正当化する、所謂神話を人間の手で創ろうとしているのではないのかとさえ思う。神になったつもりで。


 予言や科学技術、開発系は苦手なので、思想と意識とその構造にスポットを当てて、あらゆるものを解明していきたい。






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