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「ショーシャンクの空に」は救いをみせてくれるお伽噺のようだ

 先日、金曜ロードショーで「ショーシャンクの空に」を観た。現実では、努力は報われない。夢は叶わない。バチはあたらない。真実は明かされない…が当然のようにあることを知っている。しかし、この物語では、希望や努力に救いがあることを浸透圧を持って見せてくれる。希望を信じてみようと思わせる力がある。
 
 そして、この映画には名言が多く見られる。その中でも私には『災難は誰かの頭上に舞い降りる。今回は私だった。』という劇中のセリフが刺さった。冤罪で終身刑に服することを冷静に受けとめる謙虚さと強さがあったから、希望を持つことが出来たのだろう。私なら到底、承服できない理不尽な出来事に「何で?何で?何で私が?」と問いかけ続け、拒絶し続け、絶望したと思う。そして、この映画を見ていると「夜と霧」(ヴィクトール・フランクル)が思い浮かぶ。自分が人生に問いかけるのでは無く、人生が自分に問いかけてくる。そんな出来事が生きているうちには起こることがある。その時、自分がどう応えるのか。そんな視点で観ることも出来るとても後味の深い映画だ。
 
 また、一番好きな場面は刑務所の屋上で囚人達がビールを飲むシーン。太陽の下、風を浴びて仲間達でビールを飲む満足感と爽快感は私にも分かる。日常での些細な楽しみがここに有ることに驚きと喜びが湧き上がってくる。劇中で共感出来る事柄は殆んど無いが、唯一この場面だけは私もその中の1人になれた。些細な楽しみと、それを分かち合う仲間のいる素晴らしさを改めて実感出来た。こんなキラリと光る場面も救いの1つだ。さらに、終盤のお伽噺のような大きな救いは、誰より観ている私達を救ってくれる。そして、刑務所の中という日常とは懸け離れた場所を通して、様々な感情を味わい尽くすことが出来る稀有な作品だと思う。


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