山岸一雄
近所の劇旨つけ麺店にて
待ち時間なしで入れてたのは嬉しい
中盛を"あつもり"で注文する
少々の待ち時間
スープの程よい酸味を思い出し
少し唾液が分泌
店内には既視感フレーズを組み合わせた様な
レゲエ風の音楽
ボックス席の肉体労働者風の男性2人組が
会話をしながら自然にレゲエに反応し
クビをくねらせる
私はふと思う
『そういえばレゲエ好きの童貞って
見たことないな・・・』
ROCK・HIPHOP・JAZZには
少なからず"童貞"のエッセンスが含まれている、ある種のオタク文化的に知識・カルチャーを早口で語る姿を想像するのは容易い
なのに"レゲエ"オタクはどうしても想像出来ないし、レゲエと童貞と結びつけようとしても頭の中にドレッドヘアーでアゴに手を添えた
ボブ・マーリーの顔がどんどん近づいて来て
背景を緑・黄色・赤のラスタカラーに
されてしまうのだ
逆にHIPHOPを童貞と結びつけようとしても
スヌープ・ドッグの顔は近づいてこない
これはレゲエと言う音楽ジャンルだけが
特別なのだと思う
私は以前、お台場の居酒屋で働いていたことがある。その時の話なのだが
職場近くで年に一度、レゲエのフェスが開催される。その日の客層は一気に貞操観念が低くなり性的なトラブルが続出する
座席移動も頻繁に行われて
スタッフ側の手続きも面倒になるし
あまり良いことはないのだが
私の記憶する限り、その日に
"童貞"っぽいお客さんは1人も居ない
それはそれとして
私が言いたいことはレゲエと童貞は
"遠い"と言うことだ
一般的な考え方として童貞を"捨てたい"と考えた場合に『女性に近づく』と言うアプローチをとる
確かにそれは間違ってはいないが
直接的過ぎる、逆に童貞から"遠ざかる"
アプローチもおもしろいのではないだろうか
【レゲエを聴くのだ】
これは逆転の発想だ
1980年代に作家の北方謙三先生が
雑誌『Hot-Dog PRESS』の
人生相談「試みの地平線」というコラムで
童貞が捨てられない悩みの男性に対して
『ソープに行け!』と両断したエピソードは
有名である
確かにそれもおもしろいのだが
いかにも昭和的過ぎる
私はその前段階として
『レゲエを聴け!』と言いたい
そうすれば
背中にラスタカラーを纏うことが出来るのではないだろうか
後のことは頭の中のボブマーリーに相談すれば良い
『中盛のあつもりです』
待ってました
-ズズズズズ
旨
私の頭の中は
顔の半分が白タオルの山岸一雄で
いっぱいになった
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?