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僕の仕事の話 〜それでも設計の仕事を続けていく理由〜

僕は一級建築士として、建築の設計をする仕事をかれこれ10年近く続けています。

この仕事を選ぶにあたり夢や目標、特に建築に対する大きな志があったわけではありません。(今は小さい志がいくつかありますが)

気がつけば10年、建築の設計として扱う建物、土地はキャリアの中で変わってきてはいますが、「建築の設計」という仕事の軸自体は変わらずに続けてきました。

そして最近ですが、
匿名、非匿名に限らず、こういう質問をもらうようになりました。


「どうして設計の仕事をするようになったのですか?」
「どうして設計の仕事を続けていられるんですか?」

一方で、こういう声を聞くこともあります。

「設計の仕事では食えない」

上の言葉に関していうと、少なくとも僕は食えている、しかもこの言葉の発した本人がそもそも建築、設計の仕事をしてないので問題外でもあるのですが、
年度の変わり目でもありますので、この問いかけに関して、自分の仕事を初めたきっかけ、続けてきた経験を踏まえ、僕なりに答えて見ようと思います。

一点注意事項です。

これは「僕の仕事の話」です。「あなたの」ではありません。

受け取り方は自由です、ですが、読まれた方自身の経験、主張は一切考慮しておりません。以上をご理解の上読んでいただければと思います。

僕が設計の仕事を始めたわけ

僕は大学で建築学科、大学院の修士まで卒業し、設計の仕事をしています。
大学院まで出ているということは、やる気に溢れていると思われがちですが、卒業した大学のプログラムが大学院修士卒業前提で組まれている、あとはありがたいことに大学院まで通える環境があったからであり、特に志があったわけではありません、我ながら贅沢でした。

しかし、私の同世代の中でも大学院に進学までして建築の世界に進むのは大体半分くらい、ほとんどは他業種に就職します。かくいう私も就職活動中は他業種をメインに就職活動もしてました。

建築学科を卒業し建築の道に進む、というのは当たり前の進路ではありません。


むしろ最近では珍しいのでは無いのでしょうか?(専門学校とかは別ですが)
ではどうして、僕が決して当たり前の道では無い設計の仕事の道に進んだのか?

正直なところ具体的な理由はありません。


建築学科を進路に選んだのも「なんとなくクリエイティブそう」だからであり、
特定の建築、建築家の影響を受けたことはありません。

学生時代課題を褒められたこと、表彰されたことは一度もなく、むしろ「設計の素質は無い」というレッテルを植え付けられました。

そして、建築学科を卒業したので、「何となく」設計の道に進みました。
細かい理由は他にいくつかありますが大それたものではありません。

結論として、僕が設計の仕事を始めた理由は「なんとなく」です。

僕が設計の仕事を続けられているわけ

ではどうしてこんな自分が今も設計の仕事を続けられているのか?
自分なりに整理してみました。

意外とココロとカラダが丈夫だった

これは冗談のように言ってますが事実です。
建築の世界、ブラック、過酷な労働環境がよく話題に上がりますが、
実際そうです。過酷です。
今はある程度仕事を自分のスキルの範囲でコントロールできますが、
(というか徹夜ができない、無理が聞かないカラダになってきてます)
若い頃はかなりのハードでした。残業時間3桁が常態化してる時期もありました。
またココロの観点から言うと、少し話がそれますが、最初に配属された部署の先輩(2回りくらい年上)からは毎日、大体二人きりの時に限って、かなりのパワハラを受けていました。

※ちなみにその先輩はある種の脅迫障害を患っており、私が追い詰められる前に休職、そして辞めました。こう書くと僕が追い詰めたとも受け取られますが、当時はそんな余裕ありません。今は軽く書いてますが、僕自身が辞めようと本気で考えるくらい詰められてました。

こんな環境でもココロもカラダも壊さずに継続できたのは丈夫だったからかなと思います。
大きな怪我、病気もせず、悩んでも一晩寝てリセットできる図太さを持っていたなあと今でも思います。

建築が好きじゃなかったから

僕は建築があまり好きではありません。
(にも拘わらず設計の仕事をしていること自体が矛盾してるかもしれません)
僕は「建築が好き!、建築好きと繋がりたい!」と自称してSNSで建築の写真をアップしたりしません。
独自の建築論、特に理想の建築家論を語ることもあまりしませんし、そういう話も好きじゃあありません

これは電車の運転手やエンジニアが鉄道オタクと同等の鉄道への嗜好、こだわりがないのとおんなじだと思ってます。

そして一番の理由は

建築の設計はものづくりとして唯一無二であるから

ただ、ただそれだけが理由だと思います。
上記と矛盾しますが、僕は「建築自体」と言うより、建築を生み出す設計と言うプロセスが楽しいから設計の仕事を続けていられると思います。

デカイ金額、規模で関われる

まず関わるお金の額が違います。
私は仕事として、メインで関わっている案件の工事費を考えると年間数億近くになっています。もちろん、規模や用途によって異なるので金額自体の比較がそもそもナンセンスです、しかし建築というものはほとんどの場合、人が一生賭けて得る以上の金額を扱います。
まさに「人生を預ける」のです。
建築の設計はそれをひたすらやれる仕事です。
こんなにスケールのデカイ仕事はそうそうありません。

多くの人にいやでも関わる

絵を描くなら、自分以外の負担はほとんどありません。
しかし建築設計の場合、

お金を出す人、土地を出す人、
実際に建てる人、そこに住む人、
その周辺に住む人、その周辺の偉い人

全てに関わることになります、嫌なことの方が多いですが、全てが新鮮で飽きが来ません。ハンを押したような建物を量産しても、事情やプロセスは全て違います。

多くの人とつながる、コミュニケーション、横のつながりなど多くの体験が、仕事をしているといやでもできるのが設計であり、僕にとってはそれが良い刺激になっていると思います。

人の生活を支えることができる

建築を作る、それに関わると言うのは人の生活、ひいては命を支えることになります。真面目な話、建築自体が人命に大きく関わります。

建築は何かと芸術、アートの類として語られがちですが、そもそもアート的要素は付属のようなものです。本来は人の生活を支える、「器」のような存在です。

特に僕の場合、住宅といった普段の生活に関わる比重が大きい建物を設計していえますので、なおさら感じます、 普通の生活を営むことができるそれが建築の一つの理想であると思っています。

「空気のような存在を生み出すことができる」のが建築です

普段生活をしていると実感ないかもしれません。それで良いです。
実感がないことこそが建築が、建築であるための一番大切な要素でもあります。

普通を提供する、当たり前をつくることができるのが建築の世界です。

そしてその中で自分の好きなもの、かっこいいもの、表現したいものを空間という形で表現できるのです。こんな仕事、なかなかありません

もちろん全てが思うように実現するわけではありません、1000やって1つでもあれば上出来でしょう。けどそれでも充分だと思います。

このような可能性を秘めているからこそ設計の仕事を僕は続けられていると思います。

世の中を少しでも良くすることに直接関われる、そして自分の作りたい形を世に残しすことができる。とても素晴らしい、誇り高い仕事だと思っています。

以上が僕が設計の仕事を続けている理由です

最後になりましたが、
僕はSNS、動画投稿を通じて、建築の世界、そしてその世界で「本当に」働いている人のことを伝える、その魅力を伝えるべく活動しています。


特に意識していることは「自分のため」の動画にしない、自分のプロモーションとしてではなく、
「建築の世界をいかに面白く伝えるか」を模索しながら作っています。
なぜなら、ぼくが建築が好きじゃないからです。

建築家やデザイナーのありがたい言葉を面白いとも感動したこともあんまり無いもんですから

しかし建築が好きじゃないからこそ、建築を好きではない多くの人の目線でどうすれば面白いかを考えることができる。
そしてそれを発信していくことができると信じております。
冒頭に小さい志とありましたが、僕の動画がきっかけで、

建築の世界に進もうと決める人が一人でも現れる。

建築学科に入り、課題の評価や教授、講師の講評や講義に辟易し、自分は建築が向いてない、建築の仕事につきたくないと思い始めている人に、建築の設計の仕事のすばらしさ、少しくらい学生時代や教授を我慢できるきっかけになる。

建築の世界に入ったものの、自分の理想と違い、悩んでいる人に改めて設計の仕事は良いものなんだなあと再確認できる

そして、

建築の世界に直接な接点がない人にも「素敵な世界、大切な世界である」ことが伝えられる。

それが一番の願いです。

この文章も同じく、少しでもその思いが伝われば僕としても本懐です。

最後にひとこと

これが僕の仕事の話です。

動画も含め、建築を「伝える」「教える」コンテンツ、場を作る事を目標としております。よろしくお願いします。