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どうか許される内に

この世界はどうやったって吐きそうなんだ。そう思うのは私がまだ不完全と言える年頃の人間だからだろうか。

青春を爽やかだなんて最初に言った人は誰なのだろう。爽やかに見えるいかなる部分も紐解くとほぼ全てが決して爽やかとは言えない。誰かの幸せは誰かの不幸、とか言った綺麗事のことではない。全部気持ち悪くてぐちゃぐちゃに渦巻いている。でもそれを醜いと簡単に言うことはできない。苦しみも憎しみも間違いも全部美しくしてしまうのが青春だ。

このまま青春の時が終わってしまったら、この世界からどうやって身を守って行こう。青春というもので昇華できない苦しみはただ醜いだけのものになってしまいそうだ。昇華する方法を持っている人間がこの世には一定数いるが、私はとてもそうなれそうもない。まだ全てが許されてしまう間に芸や能を身につける事ができなかった。苦しみを受け入れるのではなく、逃げ出して溶け込もうとしてしまった。けれどもこの先溶け込んで生きていく自信はない。そしてどちらの方向に進むか決められるチャンスはおそらく今だけなのだ。私は常に不安感と焦燥感に駆られている。この不安感と焦燥感が今日も私の脳味噌を動かし指を動かしている。これが消えることが私の唯一の望みだが、消えてしまったら私では無くなってしまうような気持ちもある。消えるのが惜しいとも思ってしまう。やはりまだ私は苦しみを昇華して生きる人たちへの憧れがあるのだろうか。芸も能もないくせに。

一番怖いのは、昇華して生きる事もできないまま、一生この感覚が消えないことだ。まともな人生を送れない事は明白だ。いっそこの脳味噌を捨てて完全に溶け込んで生きたほうが良いのだろうか。その方がきっと楽だと言える人生になるのだろう。でも、果たして脳味噌を捨ててしまった私は私と言えるのだろうか。あの言葉とかあの感情とか、そういうのを全部捨てて生きる私は果たして私なのだろうか。私のままで生きる事自体が苦しい事なのだろうか。

この葛藤も、私がまだ未熟だからなのだろうか。青春と呼べる人間だからなのだろうか。

ならば、まだ間に合うのだろうか。

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